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第67回「引退のとき」

「プロ」を名乗る以上、いつかは「引退」のときがやってくる。
エイジグループ・アスリートには関係ないかも知れない。トライアスロンを生涯スポーツとして取り組む選手にとっては「引退」は無用の言葉だからだ。だが、「プロ」と名乗るがゆえに、いつかは訪れる引退の時。企業サポート選手(実業団所属の選手)にとっても、それは同じこと。

何をもって「プロ」と言い、何をもってして「引退」とするのか。
その定義は様々だ。コレという決まりはない。正しいか、間違っているかも個人の基準で構わない。それぞれの選手の取り組み姿勢によって、その基準は決まってくる。

以前のコラムにも書いたが、私の定義する「プロ」とは「世界一を目指す選手」のことを指す。結果として頂点に辿り着くか着かないかは別問題。自分が競技をするモチベーションが「一番」「最強」「最高峰」という場所にあり、それを追い求める気持ちを持っていることが基準となる。
「一番」というポジションに異常なほどこだわる井出樹里選手。私にとって彼女は間違いなく「プロフェッショナル」だ。

「世界一に辿り着けない」と悟ったときに私は引退を宣言した。怪我、故障で自分の意志通りには動かなくなった身体。気持とは裏腹にトレーニングすらできない状況。気持ちだけでは対処できない厳しい現実が存在した。国内レースであればいくらでも優勝できる自信はあった。しかし目標はあくまで「世界一」。それが達成できない以上は、プロである意味はないと考えたからだ。

強い弱いは関係なく、好きな競技をできるだけ長く続けたいからプロと名乗る選手もいるだろう。強くなくてもお金をもらっているからプロと名乗る選手もいるだろう。チームのため他人のために本人の意思とは別にプロと名乗らざるを得なかった選手もいるだろう。商売のためにプロを名乗る選手もいるだろう。
それらの選手を否定するつもりはない。ただ私にとって彼らは「プロ」ではない。

優勝候補の筆頭としてレースに臨む井出樹里

優勝候補の筆頭としてレースに臨む井出樹里

私が格闘技を始めたときからお世話になっているインストラクターが次のトーナメントを最後に「プロ格闘家」を引退する決断した。いろいろな理由はあるが、敢えて戦う前に宣言して最後の勝負に挑む。プロボクサーも同じであるが、彼らのファイトマネーは驚くほど少額であり、仕事をしながら夢を追いかける。それでも自分の誇りのために「プロ」を名乗る格闘家たち。

プロ・トライアスリートと名乗るからには誇りと信念を持ってほしい。本気で「一番」を目指す「真のプロ・トライアスリート」が増えることを望んでいる。

ワールドカップ石垣島。優勝候補の筆頭としてレースに臨む井出樹里。そのプレッシャーなどものともせず見事に「一番」を勝ち取る。翌週の世界選手権シリーズ第1戦トンヨン大会(韓国)でも3位に。世界一を目指して爆進中。

パンクラス横浜道場のインストラクターを務めていた富山浩宇選手

パンクラス横浜道場のインストラクターを務めていた富山浩宇選手

パンクラス横浜道場のインストラクターを務めていた富山浩宇選手。さまざまな団体のリングで戦ってきた。最後に大きな花火を打ち上げることができるか。セコンドは戦極ライト級王者・北岡悟選手。

中山俊行プロフィール

中山俊行(なかやま としゆき)
1962年生まれ
日本にトライアスロンが初めて紹介された18歳のときトライアスロンを始める。
日本人プロ第1号として、引退までの間、長年に渡りトップ選手として活躍。
引退後も全日本ナショナルチーム監督、チームNTT監督を歴任するなど、日本の
トライアスロン界をその黎明期からリードし続けてきた「ミスタート ライアス
ロン」。

【主な戦績など】
第1回、第2回 宮古島トライアスロン優勝
第1回、第2回 天草国際トライアスロン優勝

1989年から8年連続ITU世界選手権日本代表
アイアンマン世界選手権(ハワイ・コナ)最高順位17位(日本歴代2位)
初代・全日本ナショナルチーム監督
元・チームNTT監督
元・明治大学体育会自転車部監督

“第67回「引退のとき」” への1件のフィードバック

  1. kiyoshino より:

    That’s Right.
    相変らず自他共に厳しいな~(冷汗)
    全く同感、ごもっとも。
    それでプロなのかな???と思う選手…いますね。
    昔から1本筋の通ったToshi Nakayamaさん
    そのぶれない姿勢、いまでもファンですよ♪

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