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Vol.2:風神の巻 序章2:ハワイでトライアスロンに火がついた

日本トライアスロン物語

※この物語は歴史的事実を踏まえながらも、ストーリー性を加味させる為、若干の脚色を施しています。しかし、事実を歪曲したり、虚偽を記すことはありません。また、個人名はすべて敬称を省略しています。

序章2

ハワイでトライアスロンに火がついた

【この記事の要点】

ハワイでトライアスロンに火がついた。サンディエゴ海岸でのフィットネス・ゲームは、海を隔てたハワイ諸島でも行われていた。もちろん今日のような競技としてのトライアスロンではなく、サンディエゴと同じく、フィットネス感覚でスイム、バイク、ランの3種目を楽しむ仲間内のスポーツとしてである。

初代アイアンマンのゴードン・ハラー

初代アイアンマンのゴードン・ハラー

 サンディエゴ海岸でのフィットネス・ゲームは、海を隔てたハワイ諸島でも行われていた。もちろん今日のような競技としてのトライアスロンではなく、サンディエゴと同じく、フィットネス感覚でスイム、バイク、ランの3種目を楽しむ仲間内のスポーツとしてである。

 1977年秋10月、ここはオアフ島のワイキキビーチ。常夏の島に夕暮が迫り、はるか東の空の地平線のかなたに、くっきりと満月が浮かび上がっていた。そのワイキキビーチの一角にあるビアホール「ファン・ラン」で、ビアグラスを片手にかざし大声で喚きしゃべり合っているのは、一日の役務を終えてくつろぐハワイの海兵隊員たちである。

「なんていったって、この島を一周するのは大変だぜ」

「いやいや、フルマラソンほどきついものはないさ」

「そういう君は、このビーチのスイミング・レースに出たことがあるのかい?」

 つまり、オアフ島一周179.2Km(122マイル)のバイクレース、42.195Km(26.2マイル)のホノルル・マラソン大会、それとワイキキビーチで行われる3.84Km(2.4マイル)の遠泳大会(ラフウォータースイム)の3種目の中で、どの競技が一番、大変か? 議論し合っているのである。
誰も自分がこなした競技には自信を持っているから、話し振りにも自信がみなぎっている。しかし、経験がない他の競技の話となると、いまひとつトーンがあがらないのも無理はなかった。まあ、議論をするというよりも、スポーツを話題に酒を飲み自慢話をしていた風情である。

「では、どうだい。3種目を続けてやってみよう。そうすれば、何が大変か? わかるというものさ。この3種目をすべてこなした者こそ英雄だ」

海兵隊員の一人、ジョン・F・コリンズは冗談口調で切り出した。

「ブラボー! それは面白いアイディアだ。もちろん、ジョンもやるんだろうな」

「じゃあ、まずビーチから泳ぎ出して、次にバイク、最後にマラソンという順でやろう」

「よおし、そうなれば、こっちのものだ。バイクで差をつけてやる。どうだ! みんな。ジョンの提案に乗って見ようぜ」

 海兵隊員らはビールの酔いが回るにつれ言いたい放題、なかには「俺こそ一番になってやる」などと大ボラを吹いたり、仲間をはやし立て盛んに出場参加を促していた。こうなったら、言い出しっぺのコリンズも引くに引けない。周囲の人々から催促され、挑戦することになったのだ。
こうして翌年の1978年2月18日、オアフ島のワイキキビーチを本拠地に、3種目を連続して行うトライアスロン大会が開催されたのである。
この時の参加選手は男性ばかり15名、完走した者は12名におよんだ。優勝はホノルル駐在の海兵隊員ゴードン・ハラーで、トータルタイムは11時間46分58秒だった。ちなみに参加費は3ドル、あとはコリンズがポケットマネーをはたいたそうである。

ハワイアイアンマン第1回大会リザルト

ハワイアイアンマン第1回大会リザルト

 以来、この大会を通称アイアンマン(鉄人)レースと呼び、のちにスポンサーがついて「ノーチラス・国際トライアスロン大会」、あるいは「バッドライト・アイアンマン・トライアスロン・ワールドチャンピョンシップ」などと名乗った。今では世界でもっとも歴史が長い、世界でもっとも競技レベルが高いトライアスロン大会として君臨している

※この物語は歴史的事実を踏まえながらも、ストーリー性を加味させるため、若干の脚色をほどこしています。
しかし、事実を歪曲したり、虚偽を記すことはありません。また、個人名はすべて敬称を省略しています。

<トライアスロン談義> バッテン! トライアスロンは「遊び」バイ  【永谷 誠一】

 ハワイのアイアンマン大会出場は、私の人生にとって貴重な体験だった。

 選手として参加したのは、1981年に行われた第4回大会と翌年の第5回大会の2回だけだが、この2回だけでも、ロングディスタンス・トライアスロンを存分に堪能させてもらった。

 やはり、トライアスロンはロングに尽きる。遠い距離を、長い時間をかけ、自分をゴール地点へと運んでいく。フィニッシュした達成感と満足感は、トライアスロンを完走した者だけに与えられる喜びだ。

 トライアスロンで汗と涙を流した者こそ、トライアスロンの真の魂に触れることができる。速く走ろうが、遅くたどり着こうが、誰もが同じトライアスロンの心に浸ることができるのだ。

その意味で、私にとってトライアスロンは競技や競争ではない。バッテン! 自分の心を楽します「遊び」バイ。

永谷氏近影(03年3月、熊本にて撮影)

永谷氏近影(03年3月、熊本にて撮影)

【永谷誠一プロフィール】

1926年(大正15年)、熊本県で生まれる。
1981年、日本人として初めてハワイ・アイアンマン大会に出場し、完走する。
「熊本クレージートライアスロンクラブ」を創設、初代会長となる。皆生トライアスロン大会、天草トライアスロン大会など数々のトライアスロン大会の開催・運営に援助、指導を行うなど、トライアスロンの普及、発展に貢献してきた。日本の「トライアスロンの神様」である。

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