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第80回コラム「視線は常に頂点」

2010年、IOCがジュニア選手の教育と強化を目的としたユースオリンピックを初めて開催した。記念すべき第1回大会はシンガポールで開催。そして最初の決勝種目として「トライアスロン女子」が開会式翌日に行われた。結果は佐藤優香選手が優勝。この結果はメディアを通して世界各国に配信された。日本よりむしろ海外で評価されたかもしれない。この大会での優勝がどういう意味をもつことになるのか、当事者である佐藤本人はこれから知ることになるだろう。ユースオリンピックが開催される限り、佐藤優香の名前は「第1回優勝者」として残り続ける。だが既に佐藤の眼は、9月のITU世界選手権シリーズ・グランドファイナル、そして2年後のロンドン五輪を向いている。
ジュニア世界一と、オリンピック世界一とは大きな差があることを理解しているからだ。レース前から、「勝って当たり前」「勝つことしか意味がない」と監督から強烈なプレッシャーを掛けられていた。そして本人もその意味を理解し、金メダル獲得が当然という姿勢で臨んだ。
それは既に、彼女とその指導者が、本当のオリンピックで戦うことを見越しているからだ。オリンピックでメダルを期待された選手にかかるプレッシャーは計り知れない。どれほど多くの選手がそのプレッシャーに耐えきれず本番で敗北していったか。
それを知るからこそ、想像できるからこそ、このような厳しい環境を自ら作り上げ挑んでいったのだ。
レース前の佐藤の緊張した表情は忘れられない。だが佐藤はその戦いに勝った。ライバル選手だけでなく自分自身にも勝ったのだ。

JTUとしてロンドン五輪の目標は「女子はメダル獲得」「男子は入賞」。これを本気で考えている選手、指導者だからこそ今回の目標が達成できた。
前回も書いたが、その意味を理解できている指導者、選手は余りに少ない。「うちのチームの選手を出場させること」が目的となっていてしまっているからだ。

選手も指導者も頑張っていることは理解できる。だが頑張っても、実現できるレベルに達しなければ、その頑張りは一般世間では評価されない。これが現実だ。オリンピック・スポーツとは、チャンピオン・スポーツとはそういうものなのだ。
「オリンピックは出場することに意味がある」と言われたのは、遠い昔。「メダルを狙えないならば参加する必要なし」と言われるのが今だ。
オリンピックが始まるとメディアでは必ずメダルの個数を声高に報道する。メダル数が少なければJOCも批判をされる。
「参加することの意義」は認められていないのだ。税金を使って遠征し、日の丸を背負って戦う以上、これが宿命なのだ。

メダルを取ったとしてもJTU強化活動を批判する者は存在するだろう。だが本当にトライアスロンのためを思って批判をするのであればJTUの活動へ協力してからにしてほしい。
強化、普及、広報、メディカル、マーシャル、技術、マルチサポート。協力できる場所はいくらでもある。どんな形であれ自らが動き、トライアスロンに係ってからに批判をしてほしいものだ。JTUは純粋に協力してくれる者を否定しない。
自分の利益のみを追求し、外から批判するだけで、自身は動きもせず、協力をしようともしないトライアスロン評論家は不必要だ。

トライアスリートが一体になってこそメダル獲得の可能性は増えてゆく。
ロングもショートも関係なくトライアスリートであれば、オリンピックを目指すトライアスリートを応援してやってほしい。
日本トライアスロン・チームは本気で2年先、6年先の頂点を目指しているのだ。

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このメダルの輝きと重さは彼女の努力の賜物だ。
ユースオリンピックという小さい世界かもしれないが「一番」であることは間違いない。ここから彼女の真価が問われることになる。

 

中山俊行プロフィール

中山俊行(なかやま としゆき)
1962年生まれ
日本にトライアスロンが初めて紹介された18歳のときトライアスロンを始める。
日本人プロ第1号として、引退までの間、長年に渡りトップ選手として活躍。
引退後も全日本ナショナルチーム監督、チームNTT監督を歴任するなど、日本の
トライアスロン界をその黎明期からリードし続けてきた「ミスタート ライアス
ロン」。

【主な戦績など】
第1回、第2回 宮古島トライアスロン優勝
第1回、第2回 天草国際トライアスロン優勝

1989年から8年連続ITU世界選手権日本代表
アイアンマン世界選手権(ハワイ・コナ)最高順位17位(日本歴代2位)
初代・全日本ナショナルチーム監督
元・チームNTT監督
元・明治大学体育会自転車部監督

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男子代表・久保埜勇貴は世界の壁の前に敗れ去った。ここで挫けるか、世界への再挑戦を誓うか、久保埜自身が決めることだ。
自分が受けた屈辱感は久保埜自身が払拭するしかない。リベンジできるチャンスが多くあるのはジュニアの特権だ。

“第80回コラム「視線は常に頂点」” への1件のフィードバック

  1. kiyoko より:

    先日はありがとうございました!

    若いうちから沢山の大舞台を体験できるのはうらやましいですね!
    この結果を生かすも殺すも選手・コーチしだい。
    時代を経ていろんなことがありいろんな人が関わってここまできたトライアスロン。
    その過渡期を歩んできた人間としては、無意味なモノにして欲しくないと願っています。

    レースに出るからにはとにかく1番じゃないとね!
    熱い思いはまだまだ中山さんにまけないっすよ!

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