TOP > 連載コラム > 日本トライアスロン物語 > Vol.41:火神の巻 第5章その2:三者の思惑が一致した

Vol.41:火神の巻 第5章その2:三者の思惑が一致した

日本トライアスロン物語

※この物語は歴史的事実を踏まえながらも、ストーリー性を加味させる為、若干の脚色を施しています。しかし、事実を歪曲したり、虚偽を記すことはありません。また、個人名はすべて敬称を省略しています。

火神の巻 第5章その2

三者の思惑が一致したい

【この記事の要点】

その為に宮古人(みゃーく)が一致団結し協力し合うこと、そして住民エネルギーを結集すると共に、住民の人材や資源を活用して組織づくり、基盤づくり、モノづくりを促進させようということになった。また、キャッチフレーズを住民から公募して、『ワイドー・ワイド』の標語も作った。

 
琉球新報社の伊豆見元一社長の命を受けた真喜屋事業局長と嶋袋 浩企画局長の2人は、それぞれの役目を担い、宮古島でのトライアスロン開催に向け交渉を開始した。そしてまず、この2人の局長の先鋒を切って宮古6市町村の行政関係者に対しアプローチを開始したのが、宮古支局長の照屋 直である。昨夜、宮古有線テレビの砂川典昭社長と共に真喜屋と嶋袋から聞いたばかりのホットな話を、今日は6市町村で構成する宮古広域市町村圏協議会(会長=伊波幸夫平良市市長)の市町村長会議の場において紹介をした。

「ハワイでは水泳、自転車、マラソンの3種目を連続して行うトライアスロン大会が行われ、大変な人気だそうです。それを、この宮古でもやってみてはどうでしょうか? もちろん、私共、琉球新報も応援します」

 この照屋の話に、多くの市町村長は首を傾げた。

「そんなこと、我々に出来るだろうか? 第一、余りにも危険なスポーツのようだし…」

 そんな中、同協議会の副会長であり城辺(ぐすくべ)町長の森田武雄は、会議テーブルにやや身を乗り出しながら、こう言い放った。

「これは面白い! 宮古の地域活性化の為に、是非やろうじゃないか」

 森田の発言を受け、そもそもイベント好きな同協議会会長の伊波(いは)も同調した。

「前向きに考えましょう。宮古を売り出す好いチャンスかもしれない」

伊波平良市長兼宮古広域市町村圏協議会会長

伊波平良市長兼宮古広域市町村圏協議会会長

 この日の市町村長会議で結論は出されなかったものの、市議会を始め地元・体育協会や警察、消防など宮古諸島の関係機関に対し打診することになった。この為、照屋は東急の田中清司から預かったハワイ・アイアンマン・レースのビデオ・テープ1本を持ち歩き、地元関係者に対し宮古島でのトライアスロン開催について説明、説得を始めた。照屋は本来の業務である取材業務をそっちのけで、島中を走り回ったのである。

 一方、市町村長会議の意向を受け、当時、平良市役所から派遣され同協議会の事務局長の任務に就いていた長濱幸男は、トライアスロン開催に関わる諸課題について琉球新報社の嶋袋局長と具体的な協議、検討に入った。トライアスロン大会開催の意義、その行政的な位置付け、開催スケジュールの策定、関係機関並びに団体への協力要請の方途等、様々な問題について話し合い、大会開催の可能性と方向付けを探った。

「一過性の地方レベルのイベントではなく、全県的な、否、日本全体にとって意義あるスポーツ大会にしたいですね」

 嶋袋は、やるからには日本を代表するトライアスロン大会にしたい旨を強調した。これに対し長濱は、

「今、私達が取り組んでいる地域興しの核となる催しにしなければなりません」

 そして、新しいスポーツ大会を全国的なレベルで開催することによって、東急の「宮古島・東急リゾート」の集客効果、琉球新報社が「沖縄県高校駅伝大会」に次いでスポーツ・イベントを開催することによる宮古諸島での紙面拡充、それに宮古広域圏の地域経済活性化の為の起爆剤、これら三者三様の狙い並びに成果が得られるであろうことを確認した。特に、受入側の宮古広域圏が最大の課題としていた“地域経済の活性化”が、トライアスロンというニュー・スポーツを導入することによって大きく前進するのではないかとの期待が、現地の関係者達の間で高まったのは事実だ。

宮古諸島の各種データ

宮古諸島の各種データ

 それというのも、宮古広域圏の人口は当時、約6万3,000人、その多くが主要産業である農漁業に従事しているが、毎年、繰り返し襲ってくる台風や干ばつで多大なダメージを受けている。また長い間、アメリカの軍事的支配下に置かれてきた為に他の産業は立ち遅れており、経済的には公共工事で辛うじて息を繋いでいるのが実状だった。それ故、住民所得は沖縄県内で最も低く、離島という後発のハンデを如何に乗り越えていくかが、行政としてもまた医師会など圏域有識者の間でも大きな命題となっていたのである。そこで、1983年に自治省(現総務省)から地域活性化対策の地域指定を受けたのを機に、地場産業・観光・商業の振興を柱とした経済活性化の取り組みを始めたのである。

 その為に宮古人(みゃーく)が一致団結し協力し合うこと、そして住民エネルギーを結集すると共に、住民の人材や資源を活用して組織づくり、基盤づくり、モノづくりを促進させようということになった。また、キャッチフレーズを住民から公募して、『ワイドー・ワイド』の標語も作った。
 この『ワイドー・ワイド』をキャッチフレーズにした経済活性化の運動は、マスコットやワッペン、ポスター等によるムードづくから始まり、域内における資源調査や観光シンポジウム・物産展の開催等が展開されてきた。そこへ琉球新報社よりトライアスロン大会開催の話が持ち込まれ、経済活性化の旗手として『ワイドー・ワイド』運動と連携したイベント・プロモーションが始まったのだ。その第一弾として琉球新報社から提案されたのが9月開催の「トライアスロン競技説明会」であり、次いで10月の「ハワイ・トライアスロン大会の視察」であった。

地域活性化のマスコット“ワイドーマン

地域活性化のマスコット“ワイドーマン

《次回予告》
宮古諸島の6市町村がトライアスロン大会開催の為に、地元関係者に対して行った競技説明会や本場ハワイ大会への視察旅行等、大会開催への歩みを辿る。また<トライアスロン談義>では、トライアスロンに関する日本の中央競技団体の前身であった複合耐久種目全国連絡協議会の命を受け、宮古島への現地ロケに何度も足を運んだ元(財団法人)日本水泳連盟・強化総括コーチの松林 肇氏に、当時の思い出を語って戴く。

※この物語は歴史的事実を踏まえながらも、ストーリー性を加味させるため、若干の脚色をほどこしています。しかし、事実を歪曲したり、虚偽を記すことはありません。また、個人名はすべて敬称を省略しています。

 

 

<トライアスロン談義>ワイドー・ワイドで地域活性化 【長濱幸男】

 私が生まれ育った宮古島は、沖縄本島(那覇市)から南西約300Km、東京から約2,000Kmに位置する沖縄県では4番目に大きな島です。島全体は概ね平坦の低い台地状を形成し、一番高い処でも約113m(ンキャフス嶺、ナカオ嶺)、故に河川や湖沼も無く、生活用水等は地下水に頼っています。そして、この宮古島を始め伊良部島、多良間島、下地島、来間島、池間島、水納島、大神島といった大小8つの有人島によって構成された宮古諸島は、珊瑚石灰岩の地層が隆起して出来た為、土壌は保水力に乏しく痩せており、その上、干ばつや台風の災害に毎年、交互に見舞われる等、島民の生活は決して豊かとは言えません。
 本土や沖縄本島と比べ交通・情報、生活環境、保険・医療、教育・福祉のあらゆる面で立ち遅れている現状を、どう打開すればよいか! そこで、宮古諸島の1市3町2村(平良市、城辺町、下地町、伊良部町、上野村、多良間村)は1979年3月、宮古広域市町村圏協議会を結成し、「調和のとれた人間居住の総合的環境の形成」を図る為、電算並びに清掃センターや消防等の広域サービス・システムの整備に乗り出しました。さらに1983年には、産業経済の振興による新たな宮古圏域を創造する為に、自治省(当時)から地域経済活性化対策の地域指定を受けました。

 そこで活性化計画に地場産業と観光、商業の振興を図ることを3つの柱として位置付け、その為の4つの心掛け(姿勢)を全面に打ち出しました。第一は「皆で協力し合うこと」、第二は「手順を踏むこと」、第三は「住民のエネルギーを結集すること」、第四は「宮古の人材資源を活用すること」です。また、平地性、海洋性、離島性、住民性という宮古の特性を、逆転の発想で活性化戦略に取り込んでいこうということから、“スポーツ・アイランド宮古”構想が持ち上がっていたのです。
 一方、これら諸課題と取り組んでいくキャッチフレーズ(活性化標語)として『ワイドー・ワイド』が、住民の公募によって決りました。これは宮古の方言である「ワイドー・ワイ=一生懸命頑張れよ」と、英語の「ワイド=幅広い」を重ね合せたもので、宮古の幅広い層の人々が連帯して産業起こし、地域活性化の為に頑張ろうという意味です。この『ワイドー・ワイド』の取り組みが、進取の気性に富む宮古人の心を捉えました。

事務局長を退任し、88年10月に『琉球新報』に記事掲載された長濱氏(長濱氏編纂;地域活性化への試みより記事抜粋)

事務局長を退任し、88年10月に『琉球新報』に記事掲載された長濱氏(長濱氏編纂;地域活性化への試みより記事抜粋)

 こうした宮古広域圏の地域経済活性化対策を推進する過程で、琉球新報社より持ち込まれたのがトライアスロン大会開催の提案でした。『ワイドー・ワイド』の運動が展開される中、ハワイ島で行われていたアイアンマンと称するトライアスロンのビデオ・テープを見せられたのです。折りしも、宮古広域市町村圏協議会の活性化部会では海洋性スポーツ施設の整備とか各種イベントの開催等の検討がなされていましたし、その年の4月には東急リゾートがオープンし観光客の誘致が期待されていました。また、琉球新報社は83年11月に(財団法人)日本陸上競技連盟による公認マラソン・コースを使って主催した県の高校駅伝大会が大成功を収めたこともあって、宮古でのスポーツ・イベントの開催を目論んでいました。
 このような宮古広域圏の地域経済活性化、東急リゾートの集客アップ戦略、琉球新報社の宮古への本格進出といった三者三様の思惑が、期せずして一致したのです。さらには、後の話になりますが、NHKが宮古島でのトライアスロン大会の放送に踏み切った理由は、離島に対する放送の格差是正と衛星を使った実験放送の試みという課題を克服したかったからであり、JAL(株式会社日本航空)がメイン・スポンサーになってくれたのも、東京からの直行便を就航する狙いもあったとからだと思います。

 このような多くの企業や関係者、そして地元住民が誠心誠意、トライアスロン大会の開催に向けて心を一つにして協力して戴いたからこそ、記念すべき第1回大会が無事、行われ、以来、今年の第26回まで続けてこられたと思います。また、その原動力となったのが『ワイドー・ワイド』の取り組みだったと確信しております。そして天地人(タイミングのよさ、地の利、人の和)を味方にしたことも、大事なことだったとつくづく感じています。

長濱幸男氏近影(平良市の自宅にて、10年2月撮影)

長濱幸男氏近影(平良市の自宅にて、10年2月撮影)

【長濱幸男氏プロフィール】
1946年、平良市出身。琉球大学農学部畜産学科を卒業後、自営農業に携わる。73年平良市役所に入所し農林水産課に勤務。畜産係長、商工観光課係長、企画室調整官並びに宮古広域市町村圏協議会・事務職員を兼務し、84年に宮古島トライアスロン実行委員会事務局長に就任。以後、第4回大会まで務める。95年企画室長兼宮古島トライアスロン実行委員会平良支部事務局長兼務、99年経済部長、02年建設部長05年教育部長、07年定年退職。宮古島トライアスロン実行委員会スーパーバイザー。

Copyright © 2015 Neo System Co., LTD. All Rights Reserved.