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Vol.32:雷神の巻 第4章その1:トライアスロンは競技スポーツか?

日本トライアスロン物語

※この物語は歴史的事実を踏まえながらも、ストーリー性を加味させる為、若干の脚色を施しています。しかし、事実を歪曲したり、虚偽を記すことはありません。また、個人名はすべて敬称を省略しています。

第4章その1

トライアスロンは競技スポーツか?

【この記事の要点】

競技スポーツの特性である勝敗の有無や記録の優劣よりも、自然の広いフィールドを舞台にアドベンチャー的な要素を持った、従来には無かったスポーツが誕生したと思った。そして橋本は、スポーツ・ジャーナリストとしてトライアスロンを日本へ紹介すると共に、ニュー・スポーツを社会的に受け入れる素地をつくる必要性を感じていた。

「すごい! なんて凄いだろう!!」

 1979年1月、オアフ島で行われた第2回ハワイ・トライアスロン大会の模様を、日本人として初めて垣間見たスポーツ・カメラマンであり㈱ランナーズの経営者である橋本治朗は、言葉には言い表せない感動と興奮を覚えた。そして直感した。長時間にも及んで運動を続ける、この耐久的なニュー・スポーツは、時代とリンクして世界の人々に、そして日本人にも大きな可能性と期待感を抱かせるであろうと。
 橋本が何よりも強く感じたことは、トライアスロンにはスポーツの中に介在する原始的な魅力が潜んでいるということだった。競技スポーツの特性である勝敗の有無や記録の優劣よりも、自然の広いフィールドを舞台にアドベンチャー的な要素を持った、従来には無かったスポーツが誕生したと思った。そして橋本は、スポーツ・ジャーナリストとしてトライアスロンを日本へ紹介すると共に、ニュー・スポーツを社会的に受け入れる素地をつくる必要性を感じていた。

橋本治朗氏近影(08年6月、(株)ランナーズ本社にて撮影)

橋本治朗氏近影(08年6月、(株)ランナーズ本社にて撮影)

 そんな折り、橋本は懇意な仲である(財)日本体育協会(以下、日体協という)事務局員の佐野哲夫を通じて(財)日本陸上競技連盟(以下、陸連という)理事の佐々木秀幸と会い、トライアスロンの普及について相談を持ち掛けた。佐野は日体協の中にあって陸連幹部と関係があり、トライアスロンに興味を抱いていた佐々木を紹介したのだ。橋本は佐々木に、こう提案した。

「このニュー・スポーツを日本でも広めたいと思うのですが」

 すると佐々木も頷きながら、

「大変、興味深いスポーツなので、様々な角度からトライアスロンを研究したいと思っています。また、その為に関係者を集めて、いろいろ検討したいのですが、ひとつお骨折り願いませんか」

 当時、陸連の理事であり競技普及委員長の任にあった佐々木は、陸連所属のマラソン選手達が過度な練習で故障したり、世界の競技レベルから取り残されている現状に鑑み、長距離競技の副次的なトレーニング法としてトライアスロンに注目していたのである。それで81年8月に第1回皆生トライアスロン大会が開催されると聞き、密かに見学に出掛けた。そして、トライアスロンを見終わって、佐々木は思った。

「こんなものか」

 物事を初めて見た時の感動のようなものは、特に伝わってこなかった。むしろ、スイムをあがってからバイク・スタート地点までクルマで移動する間など、いわゆるトランジションにおけるロスタイムを、どのようにカウントすれば好いか? など競技ルールの観点から疑問さえ覚えた。

「競技スポーツと呼ぶには難しい。達成感を味わう、いわゆる自己実現を満たす為のイベントなのだろう」

 そんな思いを抱いて、佐々木は東京へ戻った。そして佐野や橋本と話し合い、いろいろな角度から調査、研究する為に、

「スポーツ界の指導者やトライアスロンの選手達に集まってもらおう」

ということになった。3人が呼びかけたのは、アマチュア自転車競技界からスケーターの橋本聖子を実践指導した早稲田大学自転車競技部監督の村田統治、水泳競技界から第20回ミュンヘン・オリンピック平泳ぎゴールド・メダリストの田口信教を監督・指導した浪越信夫、それにトライアスリートとして矢後潔省をはじめ宮城県・愛知県・福岡県など各地域の代表者達である。
 1982年も押し詰まった12月、彼らは「懇親会」という形で東京に集まった。この82年は、1月に「アメリカ・トライアスロン連盟=Tri-Fed USA」が設立されたのを始め、2月と10月にアイアンマン・ハワイ大会がそれぞれ開かれ、6月にはショートタイプのトライアスロン”USTSシリーズ”がトライアスロン発祥の地・アメリカ西海岸サンディエゴで開幕、11月にはヨーロッパにおいてツール・ド・フランスの山岳コースを使った「ニース・トライアスロン大会」が開催されるなど、国際的にトライアスロンがブーム的な盛り上がりを見せ始めた年である。
 同じく日本国内では第2回皆生トライアスロン大会のほか、第2回湘南トライアスロン大会、第1回小松トライアスロン大会、第1回久留米トライアスロン大会の4大会が開かれるなど、トライアスロンの名が世に知れる黎明期を迎えた時である。と同時に、国内でトライアスロンを普及、発展させる端緒が、佐々木や佐野、橋本らの音頭で始まろうとしていたのである。
 
《次回予告》「複合耐久種目全国連絡協議会」の結成に至る国内トライアスロン関係者達の動向を紹介します。

※この物語は歴史的事実を踏まえながらも、ストーリー性を加味させるため、若干の脚色をほどこしています。しかし、事実を歪曲したり、虚偽を記すことはありません。また、個人名はすべて敬称を省略しています。

<トライアスロン談義>本物の組織に望まれる優秀なリーダー 【佐々木  秀幸】

 陸上競技出身の私がトライアスロンと関わりを持ち始めたのは、熊本の永谷誠一さん達8名が日本人として初めてハワイのトライアスロン大会へ参加された1981年の時でした。(財)日本体育協会や出版社の知友が、

「海外ではトライアスロンがブームになりつつあります。やがて日本へも、その波が伝わってくるでしょうが、その為にも普及・発展基盤を固める必要があるでしょう」

と、私に相談を持ち掛けてきたのです。

 それで、その年の夏に行われた第1回皆生トライアスロン大会を視察したり、トライアスロンの3種目に関わる日本オリンピック委員会の友人達や、実際に選手としてトライアスロンに携わっておられる地域の方々と懇談したりしました。具体的には、トライアスロンの競技ルールや安全性の確保、大会運営のあり方や普及・発展基盤の為の組織づくりなどについて、そのあり方と問題点を検討しました。
 その結果、出された結論は、アマチュアの競技団体を47都道府県ごとに整備すると共に、全国的な統一組織をつくって日体協加盟を実現させることでした。また、その道順を模索する為の協議、検討機関として1984年11月に発足させたのが、「全国複合耐久種目連絡協議会」だったのです。

 そんな私の活動を続ける傍らで、トライアスロンをイベント・ビジネスとして商業化する動きが出てきたし、若いエリート選手達がプロの道を歩み出したり、さらには距離を短縮してスピード化を図り、同時にテレビ映りを重視する傾向が高まるなど、総じてトライアスロンの競技性が高まりつつありました。もともとは記録や順位を争う競技スポーツというよりも、アスリート達がそれぞれの思いで達成感を得る為の遊び的、冒険的、祭り的なスポーツ・イベントと私は見ていましたが、競技であるならば矢張り、きちんとした組織化を急ぐ必要があると考えたからです。
 それで前記協議会を発展させた形で86年3月に発足させたのが「日本トライアスロン協会=略称JTF」であり、その後、紆余曲折を経て我が国トライアスロン界の大同団結によって94年4月に誕生したのが「日本トライアスロン連合=略称JTU」です。また、その前年には、若い選手の育成が重要になるとの判断から93年6月に「日本学生トライアスロン連合=略称JUTU」を創立するなど、日本のトライアスロン界全体の組織体系を整えた訳です。

 こうして、ほぼ10年の歳月をかけて我が国トライアスロン組織の骨格が築かれてきたのですが、今改め概観してみると、本格的な組織づくりはむしろこれからという感がしないでもありません。ですから今後は帝王学を修得し、かつ浄財を集めることが出来る優秀なリーダーを迎え入れる体制を整えながら、さらに強固な組織基盤を築いていく為の人材育成を図っていくことが望まれます。その上で地域のロケーションを生かした大会の開催に取り組みつつ、ゆっくり時間をかけて普及、発展の道を歩んでいくべきでしょう。

佐々木秀幸氏近影(08年5月、東京都庁内「東京マラソン事務局」にて撮影)

佐々木秀幸氏近影(08年5月、東京都庁内「東京マラソン事務局」にて撮影)

【佐々木秀幸氏プロフィール】
1932年、秋田県出身。早稲田大学教育学部卒業後、公立中学校教員、東洋大学並びに早稲田大学教授など教育畑を歩む。スポーツは大学生時代に跳躍(三段跳び)の選手として活躍。引退した後は、陸連のコーチ、指導者としてオリンピック大会に参戦したほか、専務理事として陸連組織の強化に奔走する。現在は日本陸上競技連盟名誉副会長、日本アンチドーピング機構(JADA)理事、東京マラソン組織委員会事務総長。94年日本トライアスロン連合(JTU)の初代理事長に就任。2004年瑞宝小綬章受賞。著書・翻訳として『陸上競技教室』、『現代体育スポーツ体系』、『マック式短距離トレーニング』など多数。

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