2025年のビッグレース初戦。
ワールドトライアスロンシリーズ(WTCS)アブダビ大会。
日本チームはミックスリレーで7位に入賞した。
個人戦においては芳しい結果を出すことはできなかったが、個人戦出場メンバーで構成された4人が力を合わせたことで結果を出した。
幸運に恵まれたことは間違いないがミックスリレーへの可能性を示してくれたと考える。
残念ながら2024年パリオリンピックにおいては出場すらできなかったミックスリレー。
個人種目に重点を置きすぎ、おざなりにされてしまった。
その個人種目においても目標達成には至らなかった。
新たな体制になり、ようやく日本チームとして一体感をもって進み始めた。
2028年に向けての戦いは既にスタートしている。
いまここでしっかりとポイントを獲得してゆかなければ、この先始まるWTCSやワールドカップ(WTC)に出場することすら難しくなる。
世界のあちこちでスタートしたコンチネンタルカップ(CC)で結果を出し、ワールドランキングを少しでも上げて、オリンピックへの戦いに参加できる準備をする。
それが2025年に課された目標だ。
2026年から始まる(と予想される)オリンピックランキングにおいてはCCのポイントは反映されず、WTCSとWTC、大陸別選手権など限られた大会のポイントしか反映されない。
そのため本当の実力を身につけなければならない。
ただの「日本で一番」では意味がないのだ。
世界で戦うことが前提の日本一が求められる。
男子のニナー賢治選手、女子の高橋侑子選手。
この2名を基準として、越えてゆくことが必要条件だ。
いきなり追い抜けなくてもよい。
だが3年後には追い抜いた状態になっていなければオリンピック入賞など叶わない。
新たな日本チームは、高い目標を掲げている。
これを理解した選手だけで戦ってゆく必要がある。
「なんちゃってエリート」「自称プロ選手」はトップでの戦いには必要ない。
「みんなから応援される選手になろう!」
日本チーム・川合ヘッドコーチが掲げる目標の一つだ。
ホンモノだけが戦う世界。
ホンモノだけが生き残れる世界。
本気で世界を目指している選手たちは「ホンモノ」を目指して欲しい。
もちろんその道は簡単ではない。
現時点において認定記録会の基準を突破することができない選手も居るだろう。
だが全ての選手にチャンスはある。
焦らず少しづつレベルアップしてゆこうとすること、昨日の自分を超えようと戦ってゆくこと、強くなるために学び続けること、実行し続けること。
ホンモノになるためには自分を信じ、磨き続けることが必要だ。
「努力無限」
2000年シドニーオリンピックにおいてトライアスロンが初めて正式種目として採用されたときの日本代表、当時の日本最強の男・小原工が率いる「チームエフォーツ」のTシャツにはこう書かれている。
【写真1】
強くなるための第一歩。
トライアスロン体験会。
誰もが最初は初心者だった。
「挑戦する」
その一歩が自分の可能性を広げる。
【写真2】
こちらの世界ではホンモノにはなれなかった。
だが真剣に取り組むことの楽しさは競技が変わっても同じ。
世界王者、日本王者を含む大道塾横浜北支部の支部長と選手たち。
中山俊行プロフィール
中山 俊行(なかやま としゆき)
1962年生まれ
日本にトライアスロンが初めて紹介された18歳のときトライアスロンを始める。
日本人プロ第1号として、引退までの間、長年に渡りトップ選手として活躍。
引退後も全日本ナショナルチーム監督、チームNTT監督を歴任するなど、日本のトライアスロン界をその黎明期からリードし続けてきた「ミスタートライアスロン」。
【主な戦績など】
第1回、第2回 宮古島トライアスロン優勝
第1回、第2回 天草国際トライアスロン優勝
1989年から8年連続ITU世界選手権日本代表
アイアンマン世界選手権(ハワイ・コナ)最高順位17位(日本歴代2位)
初代・全日本ナショナルチーム監督
元・チームNTT監督
元・明治大学体育会自転車部監督
第32回オリンピック競技大会(2020/東京)トライアスロン日本チーム監督