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第181回コラム「宮古島大会の継続を!」

2022年の宮古島トライアスロン大会。
新型コロナへの懸念から既に中止が決定している。
これで3年連続の中止となる。
安全面や医療関係者のことを思えば、この決定は正しいと感じる。
しかし残念であることは間違いない。

そして不安はその先にある。
このまま宮古島大会は消滅してしまうのか。
それとも2023年に再開されるのか。
3年間、大会運営を休んでしまうと再開に向けてのハードルは高くなる。
積み上げてきた運営サイドの経験が生かされない場面が出てくるからだ。
大会継承をする人材も変わってくる。
1985年の第1回大会から脈々と受け継がれてきた日本を代表するこの大会は安全面も含めて相当にレベルが高い。

1985年。
既に皆生大会は第5回開催の実績を積み上げていたが、この年が日本にとってのトライアスロンの発展・普及に向けたビッグイヤーだ。
第1回宮古島大会(ロング)、第1回アイアンマン・ジャパン(ロング)、第1回天草大会(スタンダード)。
第1回宮古島大会ははNHK が丸一日の放送をしてくれた。
当時、「トライアスロン」という言葉すら知られていなかった時代に思い切った放映をしてくれたものだ。
日本の多くの人たちにトライアスロンを知ってもらうキッカケとなった。
アイアンマン・ジャパンはハワイ・アイアンマンへの登竜門。
そして天草はオリンピックに通じるトライアスロンの第一歩となった。

このような歴史ある大会が開催継続できるか否かの大ピンチ。
確かに宮古島が、第1回開催当初に掲げた「宮古島を知ってもらう」「宮古島を発展させる」という目標を達成して久しい。
トライアスロンがその役割を担ったとは言いながらもそれも昔に話だ。
しかしながらトライアスリートにとっては聖地の一つ。
今後も継続してくれることを望むアスリートは少なくないと考える。

最終的な判断はそこで生活をする人たちの判断に委ねられる。
これは仕方ない。
だがトライアスリートの気持ちや行動が影響を及ぼすことも確か。
継続開催という判断となるよう全トライアスリートで盛り上げていこう。

IMG_1044日本デュアスロン選手権
【写真1】
日本デュアスロン選手権がお台場で開催された。
クリスマス明けの12月26日、女子スタート時はなかなかの寒さ。
協力頂いたT Oや関係者には感謝。
毎年開催したいと感じる良い大会だった。
女子は第2ランで競り勝った潮田小波、男子はバイクで積極的に走った古谷純平が優勝。
 
 

IMG_5863宮古島トロフィー
【写真2】
1986年第2回宮古島トライアスロンのトロフィー。
日本のトライアスロン界を支えてきたレースの一つだ。
「完走者全員が勝者」
トライアスロンの根本的は変わらない。

中山俊行プロフィール


中山俊行(なかやま としゆき)

1962年生まれ
日本にトライアスロンが初めて紹介された18歳のときトライアスロンを始める。
日本人プロ第1号として、引退までの間、長年に渡りトップ選手として活躍。
引退後も全日本ナショナルチーム監督、チームNTT監督を歴任するなど、日本のトライアスロン界をその黎明期からリードし続けてきた「ミスタートライアスロン」。

【主な戦績など】
第1回、第2回 宮古島トライアスロン優勝
第1回、第2回 天草国際トライアスロン優勝
1989年から8年連続ITU世界選手権日本代表
アイアンマン世界選手権(ハワイ・コナ)最高順位17位(日本歴代2位)
初代・全日本ナショナルチーム監督
元・チームNTT監督
元・明治大学体育会自転車部監督
第32回オリンピック競技大会(2020/東京)トライアスロン日本チーム監督

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