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第167回コラム「開催!!ハンブルグ世界選手権。」

9月5日世界トライアスロン選手権が、そして6日には世界ミックスリレー選手権が開催された。 
9月7日の各社朝刊において記事が掲載された。
上田選手の写真入りの記事も複数紙で掲載されていたのは嬉しいことだ。

新型コロナ感染防止の観点から慎重に進められていたトライアスロンの国際大会。
いろいろなリスクが想定される中、ITUとしてはできる限りの対策を行い実施。
JTUとしても想定される様々なリスクへの対応策を考えながら派遣を行った。
世界の情勢、新型コロナの現実、支援企業の理解、選手両親の理解、再入国へのハードルなど。
本人の最終決断により派遣は実行されたが、そこに至るには選手自身の気持ち以外の要素で出場を諦めざるを得ない選手も存在した。

ドイツ入国にあたってはドイツ連邦警察の許可も必要だった。
またITUとしては出場選手全員に対して事前にPCR検査での陰性証明書の提出を要請した。
レースは、選手およびIDカードをもった関係者しか入れないよう厳重に管理された公園の中で開催。
公園と外部を仕切るためにフェンスを設定し、観客が集まらないように設営を行う。
会場に入る際は、体温チェック、マスク着用など基本的なことも実施。
ポントゥーン・スタートもソーシャルディスタンスを意識して選手同士の間隔を広げるなどの対策も行った。

さて個人戦のレースの内容は、というと。
スプリントディスタンスで開催されているため速い。
スイムが速くて、バイクが速くて、ランが速い。

スイムが速いことは従来から分かっている。
日本選手は十分に対応できると考える。

だがバイクは。
男子においては、日本選手で今回のハンブルグで第1または第2集団で走れる選手はほんの僅かしかいないだろう。
判り易く説明すれば、日本選手権で走っている日本男子選手の90%以上は、この第1、第2集団に付いてゆくことができないとイメージすれば良い。
落ち葉だらけの濡れた路面でのUターン。
Uターン手前での集団での激しい減速。
その直後の加速の上がり方。
巡航中も繰り返し逃げようとする選手。
そのために激しく繰り返されるスピードの上がり下がり。
自転車ロードレースを見ているのと何ら変わりない。
残念ではあるが、それだけの技術と走力がある選手はごく僅か。それが現実。
そんな中、日の丸を背負って出場しているニナー賢治選手は堂々とバイクメイン集団の前方で走り続ける。
逃げ集団(第1集団)には入れなかったが安定した走りでバイクを終えた。

そしてラン。
ランが速いことも想定している。
しかしバイクで激しく走ったあとでのランとなると別のもの。
ランニングタイムが良いだけの選手では全く対応できない。
トライアスロン男子の世界では5000m13分台ランナーが普通に存在するようになった。
これはランニング実業団で十分に生活ができるレベル。
しかし、そんな選手でも勝つことは容易でない。
バイクで振り回され、スタミナを削られ、それでも走れる走力。
どんな状況になっても走れる能力はこれから先、男女をを問わず求められる能力だ。

どこの国の選手、男子はノルウェーのバイク、女子はダフィーのバイクを想定してこの新型コロナ感染防止の自粛期間を過ごしてきた。
たったの1レースしか見ていないが、その対応策は実行されバイクレベルが新型コロナ自粛前より明らかに上がっていることが感じられた。

自転車ロードレースの文化が根付いていない日本にとっては非常に大きなディスアドバンテージとなっている。
この部分の改善を急ぐ必要を改めて感じたレースだった。

次回のコラムでは世界ミックスリレー選手権について伝えたい。

上田藍選手記事
【写真1】
日本経済新聞の記事(9月7日 朝刊)
ビッグイベントとはいえトライアスロンの記事が写真入りで掲載されることは珍しい。

 

gate to race avenue
【写真2】
COVID-19対策を実施してハンブルグ大会を開催。
レース会場に入るためには検査を受けることになる。
11月8日開催予定の日本トライアスロン選手権(台場・東京)はこれを見習いながら、更に対策を練り、世界で最も安全な大会として開催してゆく方針だ。

中山俊行プロフィール


中山俊行(なかやま としゆき)

1962年生まれ
日本にトライアスロンが初めて紹介された18歳のときトライアスロンを始める。
日本人プロ第1号として、引退までの間、長年に渡りトップ選手として活躍。
引退後も全日本ナショナルチーム監督、チームNTT監督を歴任するなど、日本のトライアスロン界をその黎明期からリードし続けてきた「ミスタートライアスロン」。

【主な戦績など】
第1回、第2回 宮古島トライアスロン優勝
第1回、第2回 天草国際トライアスロン優勝
1989年から8年連続ITU世界選手権日本代表
アイアンマン世界選手権(ハワイ・コナ)最高順位17位(日本歴代2位)
初代・全日本ナショナルチーム監督
元・チームNTT監督
元・明治大学体育会自転車部監督

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