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第145回コラム 「U23/ジュニア強化の変換期となるか」

大学生が中心となるU23カテゴリー。
高校生が中心となるジュニアカテゴリー。
中学生が中心となるU15カテゴリー。

トライアスロンは3種目もあり練習するにはとても時間が掛かる。
お金も掛かり、ご両親のサポートは不可欠。
そして学校の部活としてほぼ存在しないため中学、高校ではなかなか認めてもらえない。
更には多くのスイミングスクールでは歓迎されていない。
練習場所の確保(特にプール)は大きな関門。

そんな状況の中でもU19/U15選手たちは一生懸命に頑張って挑戦してくれている。
選手にも、それを支えるご両親にも心より感謝したい。
また大学生を含むU23選手も一部の選手たちは真剣に頑張ってくれている。
2018年の日本U23選手権(宮城県七ヶ浜)には流経大はもちろん日体大、日大、神大など複数名の選手が出場していた。
彼ら、彼女らは大学生という小さな枠から一歩踏み出したチャレンジャーだ。

2017年まで私は次世代育成強化チームのリーダーとして若手選手の進むべき方向を考えていた。
エリートへと進む選手、大学生としてどう戦うかを考える選手、大学進学を考える高校生選手。次世代という区分の年齢層は狭くない。
将来、社会人として通用する常識人、心も身体も強い選手となれるような道を作ることが目標の一つであった。
とはいえ中学生が中心のU15世代には「戦うこと」よりも「楽しむこと」に重点をおいていた。

アジアでの大会、世界での大会には出場可能な最大枠を使う。
できるだけ多くの選手に海外のレベルを感じてもらい、国際感覚を身につけてもらう。
それを経験として更に上を目指す。
そして、その経験を後輩につなげてゆく。
エリート選手として活躍することと同時に人間力を求めていた。
一定の効果はあったと考える。
しかし同時にマイナス面もあったことは否定できない。

ジュニア世代、U23世代、あまりにも簡単に「JAPAN」を背負うことができた。
その結果、そこで満足してしまう選手、自信過剰となり思いあがる選手、自分は日本のトップと勘違いする選手。
他の競技の日本代表選手と比較した場合、あまりにもレベルに違和感がある選手であってもチームJAPANとして出場できたことが、その選手のレベルアップを妨げる結果となったとも感じている。
過去に「有望」と言われたジュニア選手のうち、どれほどの数の選手が今現在、エリートとして戦い続けているだろうか。

2018年から私の役職変更に伴い、次世代の舵取り役も変わることとなった。
私以上に知識が豊富で、優しく優秀な指導者たちが、その任を担う。
新しい若手指導者たちがU23,U19、U15世代を新たな考え方のもとトライアスロン界をリードしてくれる。
今はジュニア時代からトライアスリートとして競技に取り組んできた選手も少なくない。
だからこそ早期に競技を目指すことも一つの大きな方向性だと考える。

高校野球を考えてみよう。
選手は中学生時代に自分の進路を考えている。
高校進学の先には「プロ野球」が見えているからだ。
中学時代、高校時代には既に戦うことの厳しさ、勝負の冷徹さを理解している。
トーナメントでは負けた瞬間、全てが終了となるからだ。
残念ながらトライアスロン界においては大学生になっても「勝負とは何か」が理解されていない。

トライアスロン競技の原点は「完走者全員が勝者」である。
これは今も私の信念だ。
しかしオリンピック競技においては勝つことが求められる。
勝つことが全てではないが、勝たなければ何も評価されない現実も理解しなければならない。

日本のトライアスリートも変わる時が来たのではないだろうか。
「出場枠があるから出す」という方向性から「出場枠があっても戦えない選手は出さない」という厳しい道を選択すべきタイミングが今かもしれない。

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【写真1】
アジアU23選手権。韓国選手2名と争った岸本新菜選手。
厳しい状況下で見事、優勝。
本気で優勝を目指した選手にとって、表彰台の2番目、3番目になることは「優勝者の引き立て役」であり「敗北の証明」でしかない。

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【写真2】
WTS Leeds大会。
勝利を得ること、上位に入ること、ITUポイントを獲得すること、賞金を得ることに意味がある。
これが当たり前の勝負の世界だ。
参加することに意義はない。

中山俊行プロフィール


中山俊行(なかやま としゆき)

1962年生まれ
日本にトライアスロンが初めて紹介された18歳のときトライアスロンを始める。
日本人プロ第1号として、引退までの間、長年に渡りトップ選手として活躍。
引退後も全日本ナショナルチーム監督、チームNTT監督を歴任するなど、日本のトライアスロン界をその黎明期からリードし続けてきた「ミスタートライアスロン」。

【主な戦績など】
第1回、第2回 宮古島トライアスロン優勝
第1回、第2回 天草国際トライアスロン優勝
1989年から8年連続ITU世界選手権日本代表
アイアンマン世界選手権(ハワイ・コナ)最高順位17位(日本歴代2位)
初代・全日本ナショナルチーム監督
元・チームNTT監督
元・明治大学体育会自転車部監督

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