スイムは井出樹里を含め、庭田、上田、足立のナショナルチーム4名が第2集団で同時にフィニッシュ。その前を行くのは新鋭、崎本智子、土橋茜子、高校生の佐藤優香、そして中島千恵、高木美里の第1集団。新鋭たちが歴代王者たちを先行する。
優勝候補の固まった第2集団はライバルを横目で見ながらも、それを許さず追い上げる。そして吸収。
バイク・スタート時から井出、庭田、上田の3選手が揃うことは初めてかもしれない。
3選手の実力を知るだけに誰もがこの戦いに期待した。
バイクでは、実力で勝る庭田、上田が攻撃的に走るが、逃げは決まらない。
15名の集団のままランへ。ここで見せ場を作ったのは崎本智子。明らかに実力差のある4選手に食らいつく。経験値も少ない中、思い切りの良さが光る。
その後ろでも新鋭、土橋茜子と佐藤優香、復活を掛けた高木美里と田中敬子が熾烈な順位争いを演じた。ナショナルチーム復活を掛ける選手と、新たな時代を切り開く選手の争いも観応えがある。
結果は「優勝以外は敗北」と心の底から断言する井出が言葉通り優勝。どれだけの選手がこの言葉を本気で口にしているだろうか。その気迫は素晴らしい。
2位争いは上田と足立の一騎打ち。ロンドン、横浜と燃え尽きることができなかった足立がキレを見せた。上田は敗れたものの十分に余力があり、そのタフさを証明してくれた。庭田、崎本も十分な実力を発揮したといえる。
後方の争いはトライアスロンのトレーニングを本格的に始めてわずか1年の土橋が、気合いのアスリート・高木美里を振り切った。そして年齢制限のために今年51.5kmのレースに出場できなかった佐藤が意地を見せて8位入賞をした。
スタートからフィニッシュまで目が離せない戦いだった。そしてフィニッシュするまで誰が優勝するか判らない展開。世界と同じ「1秒」を争う戦い。フィニッシュするまで全く気が抜けない緊張感ある戦い。このような戦いの積み重ねが選手を「世界」へと導いてくれる。
一方、男子もテレビ的には、なかなか面白い展開になった。
田山、山本、細田、平野がスイムから先行し第1集団で逃げる。ナショナルチーム3名が先頭集団に入ったことでツマラナイ戦いになるかと思いきや、福井、山本(淳)、杉本、疋田のベテラン勢+新人・工藤が追う。人数的には同等であるが、どちらの集団にもバイクで走れない選手がいるためにペースが思うように上がらない。第2集団は追撃態勢に入るため、走れない選手を切り捨てる。
前を行く第1集団では田山と山本の仕掛けに引っ掛かり細田と平野が離される。
ところが第2集団は、第1集団から落ちてきた細田がメンバーに加わったことでパワーアップし最大56秒に広がった差をフィニッシュ時には28秒差にまで詰め寄った。
だがランに入ると田山が圧巻の走りを見せた。日本選手権5度の優勝を誇る田山は山本も全く相手にしない。今年好調だった山本を1kmで振り切り、レースは決着。その山本もアジア選手権2連覇の意地を見せ細田を全く寄せ付けない。ナショナルチーム入りした細田もナショナルチームの意地を見せ杉本の追撃から逃げ切る。
5位に下村幸平、8位に椿とニューパワーも存在してはいるが明らかにレベルが違っている。早く戦列に加わってくれることを期待する。
本音を言えば、スイムが終了した時点で上位3人の結果が見えてしまっていた。どんでん返しは何も起こらなかった。その3人の中にも明確な実力差が存在する。
男子は選手層の薄さが今年も大きく見えてしまった。
地域選抜の選手は除くとしても、指導者である中込英夫(21位・42歳)よりも遅い強化指定選手は何なのだろう。顔を洗って出直してこい!高校生が入賞しているのに大学生がトップ10にも入ってこないのはなぜだろう。インカレ王者は男女とも20位台。いいかげん大学生同士の低レベル争いから脱出しろ!
「オリンピック」は、「世界」は、自分の立つ舞台か、テレビ画面の向こうの世界か。決めるのは自分自身だ。
(写真1)女の争いは、美しく、そしてシビアだ。観ている者を熱くする。
(写真2)
想像を超えた活躍を見せてくれた崎本智子。
2009年アジア選手権・王者の実力を遺憾なく見せてくれた。
(写真3)
若き期待の新鋭たち。左から山本奈央(13位・18歳)、土橋茜子(6位・23歳)、佐藤優香(8位・17歳)。
チームケンズが10位までの中に5人を送り込む(1位、2位、6位、8位、10位)。ライバルチームの出現も待ちたい。
(写真4)
「寝てるヒマがあったら早くトップへの階段を駆け上がってこい!!」
5位に入賞した下村幸平。来年が彼にとっては本当の勝負の1年となるだろう。(写真提供:Tomoko Cathy Oda)
中山俊行プロフィール
中山俊行(なかやま としゆき)
1962年生まれ
日本にトライアスロンが初めて紹介された18歳のときトライアスロンを始める。
日本人プロ第1号として、引退までの間、長年に渡りトップ選手として活躍。
引退後も全日本ナショナルチーム監督、チームNTT監督を歴任するなど、日本の
トライアスロン界をその黎明期からリードし続けてきた「ミスタート ライアス
ロン」。
【主な戦績など】
第1回、第2回 宮古島トライアスロン優勝
第1回、第2回 天草国際トライアスロン優勝
1989年から8年連続ITU世界選手権日本代表
アイアンマン世界選手権(ハワイ・コナ)最高順位17位(日本歴代2位)
初代・全日本ナショナルチーム監督
元・チームNTT監督
元・明治大学体育会自転車部監督