5月22日長崎県では雨の中、アイアンマンジャパンが開催されていた。そこではハワイへの出場資格を獲得するために熾烈な戦いが演じられた。宮古島、皆生と並ぶロングの一大イベントだ。
同じ日に、同じ九州の地で、ローカル大会が開催されていた。第20回指宿トライアスロンである。昨年が宮古島、天草が20周年を迎えた。そして今年、皆生が25周年を迎える。そう!!この指宿大会はこれらの歴史と伝統ある国内大会に次ぐ由緒正しき大会なのだ。かつては「ビートたけしのスポーツ大将」で数回放映されたりもした。20年経った今でも、この大会を主催しているのは池水さんという地元のトライアスリートとその関係者、そして鹿児島県協会。
まさに地元の熱意で運営されている大会なのだ。私も数年ぶりにこの大会に参加してきた。
「選手あっての大会。大会あっての選手。」これを忘れた大会は消え行く運命にあると思う。お互いがお互いを尊重しあうことが大会存続の条件になるだろう。どの選手にも特別な思い入れのある「お気に入りの大会」があると思う。ビギナーアスリートにもいずれできると思う。
選手には、その大会を大切にしてほしい。大会は、選手を大切にしてほしい。その相関関係が、その大会を継続し、素晴らしい内容の大会へと育てあげてゆく。
昨今、大会が消滅してゆく現実をみて、とても寂しく思う。選手達が自分の「特別な思い入れのある大会」を持ち、それを大切に思う気持ちがトライアスロンの発展につながると信じている。
私の住む神奈川県にもNISSAN CUP、日米親善という2つの偉大なるローカルレースが存在する。全国の歴史あるトライアスロン大会がいつまでも続き、そして多くの参加者が楽しめるよう、願って止まないこの頃だった。
こんな事を発言している私は、現役時代、もしかしたら一番態度の悪い選手だったかもしれない。レース中に投げたもの「ゴーグル、サングラス、ヘルメット、ウエットスーツ、自転車そのまま、自転車車輪、設置されたカラーコーン」う~ん、今なら出場停止間違いなしだ。
さてドラフティング問題が再燃しているようなので私も次回のコラムで参加させてもらう。今日もある方は、まず庭田清美選手のコラムをじっくり読んで下さい。
写真:
指宿大会主催者と入賞者
前列右側が20年間この大会を支えてきた池水氏。真ん中は第1回大会優勝者・竹下選手。後列左は20回大会優勝者・吉越選手。ちなみに私は第2回優勝者。
同じ日に、同じ九州の地で、ローカル大会が開催されていた。第20回指宿トライアスロンである。昨年が宮古島、天草が20周年を迎えた。そして今年、皆生が25周年を迎える。そう!!この指宿大会はこれらの歴史と伝統ある国内大会に次ぐ由緒正しき大会なのだ。かつては「ビートたけしのスポーツ大将」で数回放映されたりもした。20年経った今でも、この大会を主催しているのは池水さんという地元のトライアスリートとその関係者、そして鹿児島県協会。
まさに地元の熱意で運営されている大会なのだ。私も数年ぶりにこの大会に参加してきた。
「選手あっての大会。大会あっての選手。」これを忘れた大会は消え行く運命にあると思う。お互いがお互いを尊重しあうことが大会存続の条件になるだろう。どの選手にも特別な思い入れのある「お気に入りの大会」があると思う。ビギナーアスリートにもいずれできると思う。
選手には、その大会を大切にしてほしい。大会は、選手を大切にしてほしい。その相関関係が、その大会を継続し、素晴らしい内容の大会へと育てあげてゆく。
昨今、大会が消滅してゆく現実をみて、とても寂しく思う。選手達が自分の「特別な思い入れのある大会」を持ち、それを大切に思う気持ちがトライアスロンの発展につながると信じている。
私の住む神奈川県にもNISSAN CUP、日米親善という2つの偉大なるローカルレースが存在する。全国の歴史あるトライアスロン大会がいつまでも続き、そして多くの参加者が楽しめるよう、願って止まないこの頃だった。
こんな事を発言している私は、現役時代、もしかしたら一番態度の悪い選手だったかもしれない。レース中に投げたもの「ゴーグル、サングラス、ヘルメット、ウエットスーツ、自転車そのまま、自転車車輪、設置されたカラーコーン」う~ん、今なら出場停止間違いなしだ。
さてドラフティング問題が再燃しているようなので私も次回のコラムで参加させてもらう。今日もある方は、まず庭田清美選手のコラムをじっくり読んで下さい。
写真:
指宿大会主催者と入賞者
前列右側が20年間この大会を支えてきた池水氏。真ん中は第1回大会優勝者・竹下選手。後列左は20回大会優勝者・吉越選手。ちなみに私は第2回優勝者。

中山俊行プロフィール
中山俊行(なかやま としゆき)
1962年生まれ
日本にトライアスロンが初めて紹介された18歳のときトライアスロンを始める。
日本人プロ第1号として、引退までの間、長年に渡りトップ選手として活躍。
引退後も全日本ナショナルチーム監督、チームNTT監督を歴任するなど、日本のトライアスロン界をその黎明期からリードし続けてきた「ミスタートライアスロン」。
【主な戦績など】
第1回、第2回 宮古島トライアスロン優勝
第1回、第2回 天草国際トライアスロン優勝
1989年から8年連続ITU世界選手権日本代表
アイアンマン世界選手権(ハワイ・コナ)最高順位17位(日本歴代2位)
初代・全日本ナショナルチーム監督
元・チームNTT監督
元・明治大学体育会自転車部監督