MSPO掲示板でも熱く論議されているドラフィティング問題。
トライアスロンが競技化されて以来、常に取り沙汰されている問題だ。20年以上経過した今でも、その決定的な解決策は出されていない。私ごときの意見で何が変わる訳でもないが、誰もが嫌うこの問題に敢えて触れてみたいと思う。
「トライアスロンは自分自身との戦いである。従って、完走者全員が勝者である。」これは私がトライアスロンを始めた当初からの変わらぬ考え方である。自分との戦い=自分の弱さとの戦い=挫けそうな気持ち&誤魔化したい気持ち&ドラフティングしたい気持ち等、その定義は様々だ。
ドラフティングのない大会を如何にして開催するか。それは選手自身の自覚が最も重要であることは間違いない。が、同時に大会主催者、運営者(マーシャル)の3者が共通の意識を持つ必要がある。
選手の自覚を要求するだけでは解決しない。なぜなら全競技者が「自分のとの戦いに勝つこと」を目標とはしていないからだ。プロ選手であっても個人特性が大きく左右してくる。「勝てば官軍。勝たなければプロ失格。勝つことによって生計が成り立つ。」エイジグルーパーも「勝てば周囲の理解が得られる。誉められる。認められる。自慢できる。」こういった本質とは掛け離れた欲求がそこには存在する。人間だから当たり前かもしれない。
だからこそ、ドラフィティングしづらいコース設定(主催者努力)、ドラフティングしづらい環境(マーシャル体制)という、選手の自覚以外の要素も必要となる。これを選手自身だけでなく、大会に携わるもの全員が理解できない限り、ドラフティング問題は永遠と続くのだろう。人とは弱いものなのです。
私と同時期に競技した選手でも絶対のドラフティングをしなかった選手、山本光宏、宮塚英也、山倉紀子等々・・・そういう選手も存在したことを覚えていて欲しい。そして目標とするのであれば、そういうホンモノを見分け、そういった選手を目標としていってほしい。トップ選手にもピンからキリまで存在する。誰を目標にしているか、それはアナタのレーススタイルにも表れている。
目指せ!真のトライアスリート!
(写真)
ドラフティング許可レースであろうと、不許可レースであろうと自力で勝負することが基本。ドラフティング許可レースを主戦場とする中西真知子であってもBIKE単独走練習は必修だ。
トライアスロンが競技化されて以来、常に取り沙汰されている問題だ。20年以上経過した今でも、その決定的な解決策は出されていない。私ごときの意見で何が変わる訳でもないが、誰もが嫌うこの問題に敢えて触れてみたいと思う。
「トライアスロンは自分自身との戦いである。従って、完走者全員が勝者である。」これは私がトライアスロンを始めた当初からの変わらぬ考え方である。自分との戦い=自分の弱さとの戦い=挫けそうな気持ち&誤魔化したい気持ち&ドラフティングしたい気持ち等、その定義は様々だ。
ドラフティングのない大会を如何にして開催するか。それは選手自身の自覚が最も重要であることは間違いない。が、同時に大会主催者、運営者(マーシャル)の3者が共通の意識を持つ必要がある。
選手の自覚を要求するだけでは解決しない。なぜなら全競技者が「自分のとの戦いに勝つこと」を目標とはしていないからだ。プロ選手であっても個人特性が大きく左右してくる。「勝てば官軍。勝たなければプロ失格。勝つことによって生計が成り立つ。」エイジグルーパーも「勝てば周囲の理解が得られる。誉められる。認められる。自慢できる。」こういった本質とは掛け離れた欲求がそこには存在する。人間だから当たり前かもしれない。
だからこそ、ドラフィティングしづらいコース設定(主催者努力)、ドラフティングしづらい環境(マーシャル体制)という、選手の自覚以外の要素も必要となる。これを選手自身だけでなく、大会に携わるもの全員が理解できない限り、ドラフティング問題は永遠と続くのだろう。人とは弱いものなのです。
私と同時期に競技した選手でも絶対のドラフティングをしなかった選手、山本光宏、宮塚英也、山倉紀子等々・・・そういう選手も存在したことを覚えていて欲しい。そして目標とするのであれば、そういうホンモノを見分け、そういった選手を目標としていってほしい。トップ選手にもピンからキリまで存在する。誰を目標にしているか、それはアナタのレーススタイルにも表れている。
目指せ!真のトライアスリート!
(写真)
ドラフティング許可レースであろうと、不許可レースであろうと自力で勝負することが基本。ドラフティング許可レースを主戦場とする中西真知子であってもBIKE単独走練習は必修だ。

中山俊行プロフィール
中山俊行(なかやま としゆき)
1962年生まれ
日本にトライアスロンが初めて紹介された18歳のときトライアスロンを始める。
日本人プロ第1号として、引退までの間、長年に渡りトップ選手として活躍。
引退後も全日本ナショナルチーム監督、チームNTT監督を歴任するなど、日本のトライアスロン界をその黎明期からリードし続けてきた「ミスタートライアスロン」。
【主な戦績など】
第1回、第2回 宮古島トライアスロン優勝
第1回、第2回 天草国際トライアスロン優勝
1989年から8年連続ITU世界選手権日本代表
アイアンマン世界選手権(ハワイ・コナ)最高順位17位(日本歴代2位)
初代・全日本ナショナルチーム監督
元・チームNTT監督
元・明治大学体育会自転車部監督