TOP > 連載コラム > トシ中山の「渾身の一撃」 > 第9回「中山焦る!」 

第9回「中山焦る!」 

痛めた肋軟骨はほぼ回復した。まだ寝技には不安が残るが打撃練習では問題ない。
しかし焦っている。焦っている理由はこのことではない。
第25回皆生トライアスロン大会。日本で初めて開催されたトライアスロン・皆生大会は今年25周年を迎える。そのレースに私は参加する。そして私の練習量は・・・読者の批判が怖くてここでは言えない。
ピンチである。とても大きな試練である。練習の指導は充分にしてきた。しかし自分の練習は格闘技を除くと、余りにもお粗末だ。トライアスロンにおいては昔の栄光など意味はない。今、一生懸命に練習している選手だけが報われ、その賞賛を受ける事ができるのだ。
先日、6時間のバイク練習をした翌日、熱がでた。2時間のランニングをしたその日の夜、生きるためのエネルギーもゼロになりかるほど疲れ切った。毎日、仕事をしながら練習に励む、ビジネスアスリート。彼等こそ本当の怪物かもしれない。
なぜ参加することになったのか。遡ること5年前。2000年シドニー・オリンピック会場。皆生の生んだ英雄・小原工は私の夢を背負ってオリンピック・レースに臨んでくれた。その戦いは私の心を満たすのに充分な戦いだった。「もし自分がオリンピックに参加していれば」という気持ちを満足するに充分な戦いをしてくれた。そしてフィニッシュしたその場で、その感動さめやらぬ興奮の中、小原がロングで勝負しようと挑戦状を叩きつけてきた。ならばアテネ五輪終了後の2005年、ちょうど皆生大会25周年にあたるので、そこで勝負しようと応諾した。思えばあれこそが小原工の悪魔の囁きだったのだ。シドニー後も小原は51.5kmで勝負し続けると思っていたが、その後、ロングの選手として日本のトップを狙う場所にいってしまった。この勝負、どう見ても勝ち目が薄い。いや勝ち目は無いと誰もが感じる。
しかし、しかし、である。「戦う前から勝負投げてどーするんだ」と散々指導をしてきた私。負けを前提として参加する訳にはいかない。
果たして中山の運命は如何に?この結果は7月17日の夕方には出ていることだろう。
「トライアスロンは他人との戦いでもあるが、基本は自分との戦いに勝つこと。」このように宣言した私が、言葉通りに実行できるかどうか、その真価が問われる。果たして中山にコラムを書く資格はあるか!
結果は見てのお楽しみだ。

写真
BIKE練習で疲れ切っている悲しい自分の姿。
選手時代この表情になるのは150km過ぎ。
今はわずか50kmでアウト!!
6

中山俊行プロフィール

中山俊行(なかやま としゆき)
1962年生まれ
日本にトライアスロンが初めて紹介された18歳のときトライアスロンを始める。
日本人プロ第1号として、引退までの間、長年に渡りトップ選手として活躍。
引退後も全日本ナショナルチーム監督、チームNTT監督を歴任するなど、日本のトライアスロン界をその黎明期からリードし続けてきた「ミスタートライアスロン」。

【主な戦績など】
第1回、第2回 宮古島トライアスロン優勝
第1回、第2回 天草国際トライアスロン優勝

1989年から8年連続ITU世界選手権日本代表
アイアンマン世界選手権(ハワイ・コナ)最高順位17位(日本歴代2位)
初代・全日本ナショナルチーム監督
元・チームNTT監督
元・明治大学体育会自転車部監督

Copyright © 2015 Neo System Co., LTD. All Rights Reserved.