男子エリートにおいてはこのレースの勝者がそのままロンドン・オリンピックの代表となる。
たった一つの枠を巡って死力を尽くした戦いが演じられた。「死力を尽くす。」
言葉にすることは簡単ではあるが、これを実践するとなると決して簡単ではない。
だが今回の男子レースはこれを体現した。
日本トライアスロンの歴史の中でも、最も熾烈を極めた戦いとなった。
「1位以外は何の意味もない。」
田山寛豪は、誰よりもこの意味を理解しスタートラインに立ったはずだ。
北京オリンピック以降、彼は故障に悩まされた。そのためITUポイントランキングも低く、アジア選手権以降の海外選考レースに出場できる可能性は極めて低い。
ここで勝たなければロンドン・オリンピックへの道は事実上、閉ざされる。
そういう覚悟をもって臨んだ。
細田雄一は、4年前、田山寛豪と山本良介によって北京オリンピックへの道を阻まれた。
その雪辱を期し、「日本のエース」という肩書を背負い、地元となる千葉の地で、誰よりも重いプレッシャーを背負いながら戦う。
結果はすでに知っての通り。
だが今回は結果だけを見て欲しくない。
是非、レース内容を見て欲しい。4月15日(日)にはテレビ放送がある。
「勝つとはどういう意味か」
「勝利への執念とは何か」
「何が勝敗の分かれ目となったのか」
これほど観ているものを魅了し、興奮させ、そして心を震わせてくれるレースは、そうそうお目に掛れない。
日本トライアスロン史上の残る名勝負を、選手自身の目でみてほしい。
【写真1】
BIKEでは4人で逃げ、RUNの序盤で勝負を決めにかかる細田雄一。
今や日本のエースとなった。エースが他の選手に負けることはあってはならない。
ライバル選手だけではなく、のしかかるプレッシャーにも打ち勝つことが求められる。
【写真2】
細田を追う、田山寛豪、山本良介。
「絶対に逃がさない」という気迫が伝わってくる。
たった1枠を巡る、この3人の死闘がレース全般に渡って繰り広げられた。
一瞬でも気を抜いたら敗者となる。
2時間近くも緊張感を強いられる、痺れる戦いだ。
中山俊行プロフィール
中山俊行(なかやま としゆき)
1962年生まれ
日本にトライアスロンが初めて紹介された18歳のときトライアスロンを始める。
日本人プロ第1号として、引退までの間、長年に渡りトップ選手として活躍。
引退後も全日本ナショナルチーム監督、チームNTT監督を歴任するなど、日本のトライアスロン界をその黎明期からリードし続けてきた「ミスタートライアスロン」。
【主な戦績など】
第1回、第2回 宮古島トライアスロン優勝
第1回、第2回 天草国際トライアスロン優勝
1989年から8年連続ITU世界選手権日本代表
アイアンマン世界選手権(ハワイ・コナ)最高順位17位(日本歴代2位)
初代・全日本ナショナルチーム監督
元・チームNTT監督
元・明治大学体育会自転車部監督