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第92回コラム「第17回日本選手権」

2011年の日本選手権は17回目。東京のお台場という超観光地で開催。
第1回の日本選手権は岐阜県海津市の長良川で開催された。
そのときのレースはノンドラフティング。時代を経て、ルールが変わり、選手も変わり、戦略も変わってきた。
だが変わらないものもある。
勝つためにスタートラインに立った選手の中からしか「優勝」の2文字を手にする選手は現れない。
まぐれでは決して優勝できないのだ。男子は事前の予想通り、細田雄一が初優勝を決めた。
2011年、彼のレベルアップは特筆ものだ。
各種目においてレベルアップしたことも事実だが、何よりも心の強さが際立つ。
ここ最近の彼の言葉には「おごり」や「はったり」が感じられない。
自信の実力を冷静に判断しながらも、勝つために全力でチャレンジする姿勢は昨年とは全く違う選手を見ているようだ。

女子は、庭田、足立がオリンピック・ポイント獲得のため不在となったが、井出、上田、崎本の争いは見物だった。
井出の執念が優勝をもぎ取ったが、上田の粘り強さは驚異的だ。この2人が日本をリードし、代表争いを熾烈にすることで「メダル獲得」という目標達成に近づいてゆくだろう。

さて今回もバイクで周回遅れとなり多くの選手がDNFとなった。
完走できなかったからといって、その選手が弱いことにはならない。
ただ日本選手権という、高速レースには適合できていないということだ。
そんな中でも女子では知花果林がジュニア選手としては完走を果たし、男子では阿部有希が完走を果たした。
大学生に目を向けると女子では4名、男子では8名が完走を果たした。
少しづつ若手が成長していることが感じられる。

そして御存じ中込英夫。出場者65名、完走者39名の中で28位と今年も多くの強化指定選手に土をつけさせる。
一方、個人的な注目ジュニア選手・高橋世奈は得意のランに持ち込むことができなかった。
是非、彼女のランをチェックしたかったのだが残念だ。

それぞれの思いを秘めた、ロンドン・オリンピック前年の日本選手権。
オリンピアンと自分の実力差を確認できたことと思う。
若手選手には数年後に、今回の優勝者を追い抜く場所にきてほしい。
またエイジグループ選手は、ルールが違うかもしれないが、自身との違いを正しく認識して、更なるレベルアップを目指してほしい。

お台場という、類稀なる場所で開催される日本選手権。
コースはシンプルでも、優勝者にまぐれは1回もない。
優勝した選手は全員が「私が勝つ」とスタートラインに立った選手のみだ。

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【写真1】
男子日本王者・細田雄一。隣は女子ジュニア日本王者・松本文佳。
先輩は後輩の憧れであり続けなければならない。
そして後輩はその憧れの先輩を追い抜くことを目指さなければならない。

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【写真2】
WCS横浜で好成績を残した杉本宏樹(左)は4位。下村幸平(右)は初の表彰台をゲット(3位)。昨年から大きくステップアップした。
日本男子がレベルアップをしてゆくためには、こういった泥臭くも執念深い選手が必要だ。

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【写真3】
震災復興を願う選手達。JTU岩城会長のお膝元である福島県は大変な状況にある。
それでも岩城会長はWCS横浜、日本選手権と欠かさず視察に来てくれる。

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【写真4】
WCS横浜、日本選手権とどちらもNHKが全面的に放送に協力してくれる。
本当に心強いことだ。
映像に相応しい戦いを選手が演じるからこそ、毎年協力してくれるのだ。
つまらない競技や戦いにテレビ局は関心を持たない。

中山俊行プロフィール

中山俊行(なかやま としゆき)
1962年生まれ
日本にトライアスロンが初めて紹介された18歳のときトライアスロンを始める。
日本人プロ第1号として、引退までの間、長年に渡りトップ選手として活躍。
引退後も全日本ナショナルチーム監督、チームNTT監督を歴任するなど、日本のトライアスロン界をその黎明期からリードし続けてきた「ミスタートライアスロン」。

【主な戦績など】
第1回、第2回 宮古島トライアスロン優勝
第1回、第2回 天草国際トライアスロン優勝

1989年から8年連続ITU世界選手権日本代表
アイアンマン世界選手権(ハワイ・コナ)最高順位17位(日本歴代2位)
初代・全日本ナショナルチーム監督
元・チームNTT監督
元・明治大学体育会自転車部監督

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