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第91回コラム「新生ジュニア・ナショナルチーム」

2011年の世界選手権は中国・北京で開催。9月10日がジュニア女子、11日がジュニア女子。
アジア選手権は9月23日(男女ジュニア)に台湾のイーランで開催された。
U23、エリートについては次回に述べたい。
なお、レース結果についてはJTUホームページを参照してほしい。さて今回のジュニアカテゴリー。
世界選手権、男子3名、女子3名の代表のうち経験者は1名のみ。
残る5名は初海外レース。
アジア選手権においては、男子6名、女子6名の代表のうち、経験者は2名のみ。
新生ジュニア・ナショナルチームと呼ぶに相応しいメンバーとなった。
ここにジュニア対応の新たなスタッフも2名加えて、この連戦に臨んだ。

世界戦、アジア戦に向けて、8月末に4泊5日の強化合宿を開催し、JOCが掲げるチームJAPANとして「みんなで強くなり、みんなで競い、みんなで戦う」という意識をもって臨んだ。
その成果もあってか、選手同士がお互い助け合い、初出場となった海外遠征においても過度の緊張がなく、一体感をもって挑戦することができた。

確かにトライアスロンは個人競技ではあるが、世界のレベルがここまで高まってくると個人の努力だけでは追いつくことは難しい。選手同士が同じ目標に向かい、競い合い、助け合い、友人として、ライバルとして戦ってゆくことが求められる。
この「同じ目標」というところがポイントだ。

トライアスロンの情報がほとんどなかった私の現役時代は、飯島健二郎、山本光宏、宮塚英也などと共に合宿し、トレーニングをし、トレーニング理論を戦わせ、研究し、実践し、バラバラでありながらも一体感をもって世界と戦ってきた。
彼らは、最も目障りなライバルであったが、もっとも信頼のおける友人でもあった。

原点に戻り、日本チームを強化してゆくこと。
ジュニアにおいては、2011年がそのスタートの年となった。
「チームJAPAN」という言葉の真意は、アジア戦でリレーに出場した細田選手や崎本選手のブログを見てもらえれば理解できると考える。

2011年は世界戦が先で、アジア戦が後、という順番だった。
まずは世界選手権。
多少なりとも自信をもって挑んだ選手達であったが、完膚なきまでに叩きのめされた。
各選手には、事前に目標設定をさせ、結果だけでなくレース展開まで発表させた。
しかし、結果を残すことは全くできなかった。
だがレース内容については、少しだけではあるが、自分のイメージ通りに戦えた選手が存在したことも事実。まだまだ未熟ではあるが、自分の実力を「世界」の中で試すことができたと感じている。
重要なことは、彼(彼女)らが世界の高さ、強さを、身を持って感じ、その具体的なレベル差も確認することができたことだ。

その2週間後がアジア選手権。世界選手権を経験した選手に加え、新人選手が男女で計5名加わった。世界戦を経験した選手達に油断はなく、新たに加わったチームメイトに対しては自分たちの経験を伝えていた。
ジュニアチームにYOG世界王者の佐藤優香が加わり、後輩たちの面倒を見てくれたことは選手達に大きな好影響を与えた。
それらが結果につながったと考える。

2012年には今回の経験者の中に更に新人選手が加わってくるだろう。
その選手達にも、しっかり目標設定をし、指導、教育をして、日本のトライアスロン界を引っ張ってくれる選手となるように育ててゆくことが重要である。
過去において、ジュニア時代にトップだった選手は、残念ながらエリートではほとんど通用していない。
エリートへとつながるジュニア強化が求められている。
そのためにはスタッフも絶えず勉強をしてゆかなければならない。
我々は、指導者であると共に、教育者でもなければならない。
「学ぶことを辞めたら、指導することも辞めなければならない」
JOCナショナルコーチ・アカデミーで繰り返し伝えられた言葉だ。

今後のジュニア選手の動向に注目してほしい。

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【写真1】世界選手権ジュニア男子代表。左から稲井勇仁、谷口白羽、杉原賞紀。
全員が初海外遠征。しかし不必要な緊張感なくレースに挑んでいった。

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【写真2】U23日本代表・椿浩平(左)とエイジグループ日本代表・永田誠也。
永田選手は30~34歳という最も厳しいカテゴリーで見事優勝。
表彰式に参加していたU23、ジュニア選手に、表彰台に立つことの凄さ、素晴らしさを示してくれた。

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【写真3】アジア選手権ジュニア男女代表選手。結果も良かったが、レース後に滲み出るこの笑顔がとても重要。「トライアスロンは楽しい」と思えることがエリートへとつながるキーワードだ。

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【写真4】世界戦、アジア戦は、各国同志の戦いでもあるが、国際交流の場でもある。
いろいろな国の選手と仲良くなることで自身のレベルアップを図ることができる。

中山俊行プロフィール

中山俊行(なかやま としゆき)
1962年生まれ
日本にトライアスロンが初めて紹介された18歳のときトライアスロンを始める。
日本人プロ第1号として、引退までの間、長年に渡りトップ選手として活躍。
引退後も全日本ナショナルチーム監督、チームNTT監督を歴任するなど、日本のトライアスロン界をその黎明期からリードし続けてきた「ミスタートライアスロン」。

【主な戦績など】
第1回、第2回 宮古島トライアスロン優勝
第1回、第2回 天草国際トライアスロン優勝

1989年から8年連続ITU世界選手権日本代表
アイアンマン世界選手権(ハワイ・コナ)最高順位17位(日本歴代2位)
初代・全日本ナショナルチーム監督
元・チームNTT監督
元・明治大学体育会自転車部監督

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