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第90回コラム「ジュニア選手の躍進」

前回のコラムではU23カテゴリー(23歳以下のクラス)の世界戦&アジア戦の代表争いについて書いた。今回はジュニアの代表選考会について書いてみよう。
世界戦は9月10日(女子ジュニア)、11日(男子ジュニア)。中国・北京で開催。
アジア戦は9月23日(男女ジュニア)。台湾・Yilanで開催される。選考レースは6月26日の蒲郡オレンジ大会スプリントの部。そして8月7日、ジュニア日本選手権・長良川大会。選手自身はもとよりコーチにも選手の両親にもチカラが入る。
残念ながらジュニア日本選手権は、WCSロンドン大会遠征中のため直接観ることができなかった。ジュニア日本選手権では、15歳以下の部と、19歳以下の部に分かれて開催される。
長良川大会といえば「暑さ」が最大の敵。体感温度は楽に40度を超える。エリート選手であっても10km40分を切ることは至難の業だ。
そんな中でもジュニア選手は元気。驚くことにU19男子トップは5kmを16分2秒、U19女子トップは19分22秒で走り抜けた。
U15においては、男子トップタイムが8分43秒、女子トップタイムが9分ちょうど。U15の女子選手は1km3分36秒のペースで走り切った計算になる。
ちなみに長良川大会優勝者・倉内誠司選手のタイムが10km36分10秒だから、ほとんど同じペースで走ったといえる。倉内選手のタイムは、長良川においては相当に速いタイムと言えるのに。つまりU15男子は大人のスピードを上回る。今回の特徴としては、指導者のもとでトレーニングをしている選手が上位を占めているということ。我らの時代のように、一匹狼で戦う選手が上位進出することは相当に難しくなった。これは指導者が充実してきたことの表れである。

過去においては、ジュニア選手時代に活躍した選手のほとんどがエリートでは通用していない。挫折して辞めるか、飽きて辞めるか、それとも成長が止まってしまうか、そのいずれかであった。本当に僅かな選手のみがエリートとなっても戦っていたが、オリンピックにまでは届いた選手はゼロだ。

それは指導方法が確立されていないこと、正しい知識をもった指導者が少なかったこと、一貫指導システムができていなかったこと、などが理由として挙げられる。

だが今は様子が違ってきている。まだまだ数は少ないが、ジュニアをエリートに育成できる強化拠点は増えてきている。強化拠点を増やし、優秀な指導者を増やしてゆくことが、ジュニア・トライアスリートが大人になっても世界で戦えるようにする、最も効果的な方策だろう。

卵(選手)が先かニワトリ(指導者)が先か。JOCの答えはニワトリ(指導者)だ!

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【写真1】かつて日本最強を誇った小原工の弟子。ジュニア選手権(U15)で準優勝。だがレース結果そのものよりも「正しく成長している」という姿が嬉しい。なぜなら、その気持ちがあれば、来年は更にレベルアップしていることが容易に推測できるからだ。

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【写真2】U15合宿に参加のジュニア選手達。レース翌日から元気にトレーニングに励んでいた。
この時期だからできるのだ。世代に応じた練習が求められる。

中山俊行プロフィール

中山俊行(なかやま としゆき)
1962年生まれ
日本にトライアスロンが初めて紹介された18歳のときトライアスロンを始める。
日本人プロ第1号として、引退までの間、長年に渡りトップ選手として活躍。
引退後も全日本ナショナルチーム監督、チームNTT監督を歴任するなど、日本のトライアスロン界をその黎明期からリードし続けてきた「ミスタートライアスロン」。

【主な戦績など】
第1回、第2回 宮古島トライアスロン優勝
第1回、第2回 天草国際トライアスロン優勝

1989年から8年連続ITU世界選手権日本代表
アイアンマン世界選手権(ハワイ・コナ)最高順位17位(日本歴代2位)
初代・全日本ナショナルチーム監督
元・チームNTT監督
元・明治大学体育会自転車部監督

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