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第84回コラム「メダル獲得という目標に賛同しない人々」

JTUはロンドン・オリンピックにおける目標を「女子ではメダル獲得」としていることは周知の通り。(男子は入賞が目標)
このことに反対する関係者は誰もいない。だがオリンピックが近付くと不思議な現象が発生する。
目標が「メダルを狙う」から「オリンピックに出場する」に擦り変わり、「メダルを狙う」という目標に賛同しなくなるのだ。
「メダルを狙う」という「頂点の強化」は、「オリンピックに出場できる」レベルの選手やチームにとっては「自身の選手が選ばれない」というリスクを発生させるからだ。「メダルを狙える選手を派遣する」=「狙えない選手は派遣しない」ということ。
仮に、もし今回狙えないならば「次回のオリンピックでメダル獲得の可能性がある次世代の選手を派遣する」ということ。
これを理解することができなくなり、メダル獲得目標に賛同しなくなる。「私は、こんなに頑張ってきたのに。」
「うちの選手はあんなに一生懸命に頑張っているのに。」
「あんな努力する選手は見たことがない。そんな、うちの選手が代表に選ばれないなんて!」
よくあるセリフだ。でも良く考えてもらいたい。
全ての選手が一生懸命に頑張っているのだ。
頑張ることは当たり前で、その上で、掲げた目標を達成できる可能性の高い選手を選考することは当たり前のことだ。
可能性のある選手を選考し、可能性の薄い選手を選ばないことの、どこが不公平なのだろうか。

オリンピックが近付くと、選手も指導者も「オリンピック」という言葉に目が曇り、甘えが生じ、目標を「メダル獲得」から「出場」に妥協しようとしてしまう。
そんな意識を持ったまま選ばれた選手は、オリンピック本番当日、何らかの理由を付けて「メダル獲得」から「自分のベストを尽くせば良い」と目標を下げてくる。

オリンピック競技はJOCという競技スポーツ団体のもとで派遣される。
JTUはその下部組織である。
そして、JOCの評価は「頑張ったかどうか」ではない。
「メダルを取ったか否か」が評価の対象となる。
それは応援している一般の国民、視聴している観客も同様だ。
弱い競技には見向きもしない。

現実を伝えよう。
2010年を振り返ると、世界選手権シリーズは7レース開催されている。
メダル総数は21個。だがメダルを手にしたのはわずか11人。
つまり同じ選手が複数回も表彰台に立っているのだ。
これは、マグレは発生しないとう事実。
頭に入れておかなければならない事実だ。

入賞できない選手に表彰台の可能性などないのだ。最終的には、表彰台を経験した選手のみがオリンピックで表彰台に乗れる可能性を持つことになる。

冷酷と感じる読者も多いと思うが、まずはこの「非情なる現実」と向き合うことがオリンピック強化のスタートとなる。
勝負とは冷酷なものである。
勝者には栄冠が与えられ、敗者には何も与えられない。
だからこそメダルを勝ち取ることに大きな意義が発生する。

そして最も知っておいてほしいこと。
それは、メダルを獲得するためには多くの関係者の応援が必要ということ。
だからこそブレることなく是非、「メダル獲得」という目標を皆で支えてほしい。
「オリンピックでメダル獲得」。
チャンスは今なのだ。

(写真1)

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勝ったからこそ評価をされる。結果が全てのこの世界。
昨年11月のアジア競技大会(中国・広州)で男女とも金&銀メダルを獲得したことは記憶に新しい。
勝つことを最優先とした選手選考を実施した結果だ。
足立と細田が見事優勝。

 

(写真2)

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(写真3)

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昨年12月に開催されたアジアビーチゲームズ(オマーン)では男女とも、金&銅メダルを獲得した。
井出、細田が金メダル。
代表選手は「勝って当たり前」というプレッシャーに打ち勝つことも求められる。

中山俊行プロフィール

中山俊行(なかやま としゆき)
1962年生まれ
日本にトライアスロンが初めて紹介された18歳のときトライアスロンを始める。
日本人プロ第1号として、引退までの間、長年に渡りトップ選手として活躍。
引退後も全日本ナショナルチーム監督、チームNTT監督を歴任するなど、日本のトライアスロン界をその黎明期からリードし続けてきた「ミスタートライアスロン」。

【主な戦績など】
第1回、第2回 宮古島トライアスロン優勝
第1回、第2回 天草国際トライアスロン優勝

1989年から8年連続ITU世界選手権日本代表
アイアンマン世界選手権(ハワイ・コナ)最高順位17位(日本歴代2位)
初代・全日本ナショナルチーム監督
元・チームNTT監督
元・明治大学体育会自転車部監督

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