もう一度、考えてみよう。
「勝つ」とは何だろう。「レースで勝つ」「試合で勝つ」「相手に勝つ」「自分に勝つ」「弱さに勝つ」「昨日の自分に勝つ」。それぞれの選手にとって解釈は様々だ。トライアスロンの原点は「完走者全員が勝者である」ということ。
トライアスロンに関わる者として、この言葉を誇りに思っている。
これを前面に打ち出しているスポーツなど、そうそう存在しない。
「トライアスロンに挑戦すること = 自分自身に打ち勝つこと」だと思っている。一方、オリンピックにおける勝者とは何だろう。
この定義も様々である。バラバラであって構わないと思う。選手全員に、そこに至るまでのドラマが存在し、必死で頑張ってきたからこそ「オリンピック」という場に立つことができた。だから「オリンピックは参加することに意義がある」とさえ言われていた。だが時代は流れ、評価は変わった。どんなにキレイごとを言ったところで、メダルを取れなければ敗者として扱われる。
優勝候補であった選手がメダルを取れなかったときの扱いを見れば一目瞭然だろう。
現実は「メダルを取った者」が勝者であり、取れなかった者は敗者として扱われてしまう。強化に携わる者は、この厳しい現実から目を背けてはならない。JOCナショナルコーチアカデミーで共に学んだ指導者の中に今村俊明氏がいた。2010年バンクーバー五輪スピードスケートの監督だ。金メダルこそ逃したものの、自分の教え子に銀メダルと銅メダルを獲得させた。「崖っぷち監督がメダリストを2人生むまで」(KKベストセラーズ)を是非読んでみてほしい。どれだけの覚悟が必要であるか、感じ取ることができるはずだ。勝つということが、どれだけ大変で、どれだけ素晴らしく、そして崇高であり、遥かな道のりであるか。選手にも指導者にも、そのことを理解してほしい。理解できないまでも、理解する努力をしてほしい。
今村氏に比べ、自身の未熟さを再認識させられた。だが同時に、彼に勝つための何をしなければならないか。その足りないモノを修得しなければならない。考えていても時間は過ぎてゆく。一瞬たりともメダル獲得に向けての足を止めることはできないのだ。
1)世界選手権シリーズ・グランドファイナル・ブダペスト大会。10位に入り、ようやく本来の場所に戻ってきた井出樹里(左)。「勝つこととはどういうことか」を知る数少ない日本選手だ。
才能だけなら井出、足立を上回るかもしれない。土橋茜子(右)は「勝つ」という意味を知り、体現できたとき劇的な進化を遂げるだろう。
2)2010年、華麗なる変身を遂げた足立真梨子。年間を通して、表彰台を目の前に見据えた戦いをし続けた。近くて遠い表彰台への距離を2011年にはゼロにしてほしい。
3)日本選手権女子では崎本智子(右)が見事な初優勝。今まで持っていた「攻める勇気」に加えて、「我慢する勇気」が加わったことが今回の勝因と考える。
「勝つ」とは何だろう。「レースで勝つ」「試合で勝つ」「相手に勝つ」「自分に勝つ」「弱さに勝つ」「昨日の自分に勝つ」。それぞれの選手にとって解釈は様々だ。トライアスロンの原点は「完走者全員が勝者である」ということ。
トライアスロンに関わる者として、この言葉を誇りに思っている。
これを前面に打ち出しているスポーツなど、そうそう存在しない。
「トライアスロンに挑戦すること = 自分自身に打ち勝つこと」だと思っている。一方、オリンピックにおける勝者とは何だろう。
この定義も様々である。バラバラであって構わないと思う。選手全員に、そこに至るまでのドラマが存在し、必死で頑張ってきたからこそ「オリンピック」という場に立つことができた。だから「オリンピックは参加することに意義がある」とさえ言われていた。だが時代は流れ、評価は変わった。どんなにキレイごとを言ったところで、メダルを取れなければ敗者として扱われる。
優勝候補であった選手がメダルを取れなかったときの扱いを見れば一目瞭然だろう。
現実は「メダルを取った者」が勝者であり、取れなかった者は敗者として扱われてしまう。強化に携わる者は、この厳しい現実から目を背けてはならない。JOCナショナルコーチアカデミーで共に学んだ指導者の中に今村俊明氏がいた。2010年バンクーバー五輪スピードスケートの監督だ。金メダルこそ逃したものの、自分の教え子に銀メダルと銅メダルを獲得させた。「崖っぷち監督がメダリストを2人生むまで」(KKベストセラーズ)を是非読んでみてほしい。どれだけの覚悟が必要であるか、感じ取ることができるはずだ。勝つということが、どれだけ大変で、どれだけ素晴らしく、そして崇高であり、遥かな道のりであるか。選手にも指導者にも、そのことを理解してほしい。理解できないまでも、理解する努力をしてほしい。
今村氏に比べ、自身の未熟さを再認識させられた。だが同時に、彼に勝つための何をしなければならないか。その足りないモノを修得しなければならない。考えていても時間は過ぎてゆく。一瞬たりともメダル獲得に向けての足を止めることはできないのだ。

才能だけなら井出、足立を上回るかもしれない。土橋茜子(右)は「勝つ」という意味を知り、体現できたとき劇的な進化を遂げるだろう。


4)日本選手権男子では山本良介が同じく初優勝。「優勝」以外に意味は無いというプレッシャーに打ち勝ったことは見事。天運に恵まれたことも事実だが、後輩選手を引き連れて思いやりの気持ちをもってバイク第1集団をコントロールしたことが勝利を呼び込んだ。
中山俊行プロフィール
中山俊行(なかやま としゆき)
1962年生まれ
日本にトライアスロンが初めて紹介された18歳のときトライアスロンを始める。
日本人プロ第1号として、引退までの間、長年に渡りトップ選手として活躍。
引退後も全日本ナショナルチーム監督、チームNTT監督を歴任するなど、日本の
トライアスロン界をその黎明期からリードし続けてきた「ミスタート ライアス
ロン」。
【主な戦績など】
第1回、第2回 宮古島トライアスロン優勝
第1回、第2回 天草国際トライアスロン優勝
1989年から8年連続ITU世界選手権日本代表
アイアンマン世界選手権(ハワイ・コナ)最高順位17位(日本歴代2位)
初代・全日本ナショナルチーム監督
元・チームNTT監督
元・明治大学体育会自転車部監督