さて残念なことに事業仕訳の対象となるなど日本におけるスポーツの地位は相変わらず低い。
普段は全く関心を示さず、オリンピックのときだけ「弱いなー」「ダメじゃん」と言われてしまっては選手が浮かばれない。「日本にはスポーツという文化が無い」と多くの有識者が口にする。
だが文化として認められるまで待っている訳にはいかない。
選手にとっては、今この瞬間こそが最も大切なのだから。
改めて感じること。1位と2位とのはざまにある地上と天空のような大きな空間。
3位と4位との間にあるエベレスト山頂と麓ぐらいの大きな差。
8位と9位との間にある富士山頂と湘南ビーチぐらいの大きな違い。
ときどき勝利の女神は気まぐれに微笑むけれど、基本的に勝つべき選手は決まっている。
その優勝候補と呼ばれる選手の中から最も勇気ある選手が勝利を勝ち取っている。そう、勝敗を分ける要素の一つは勇気だ。
優勝候補と呼ばれた選手が必死になって戦う。入賞候補と目されている選手が一瞬のチャンスをモノにしようと牙を研いでいる。現実問題「自分のベストを尽くします」と言って勝てる選手はごく僅か。圧倒的な差をもっている選手だけが、それを可能にする。本命と目されている選手であっても「挑戦」「必死の冒険」「限界を超える戦い」というリスクを冒してメダルを取りにゆく。4年間積み上げたトレーニングの集大成。その全てを出し切り、本番で更なる力を発揮するためには「勇気」が必要なのだ。
そして次に求められるものが「運」。確かにこれは不確定な要素。
だが、この「運」を呼び寄せることも必要となってくる。これは人間の力ではどうしようもない。清く正しく生きていても恵まれない場合もある。
悪人であっても運に恵まれることもある。だが確率の問題として、どちらに「運」は味方するだろうか。どちらに「運」は寄ってくるだろうか。我々は可能性を高めるためであれば、あらゆることをしなければならない。「運」を呼び寄せるなど非科学極まりない。
しかし、それすらもメダルを獲得するのに必要なことであれば、そのための努力もしなければならないのだ。感謝の気持ち、謙虚な気持ちがなぜ必要なのか。考えれば判るはずだ。
そして「生きざま」。タイム競技においては0.1秒に満たない差で決まったレースが何回あっただろうか。
その瞬間に、順位を分けた理由は何であろう。実力の差ではない。普段の過ごし方、考え方、競技に賭ける想いが、その瞬間の勝敗を決める。
まさに、その選手の生きざまが、あの瞬間に順位となって表れるのだ。レースでは、タイムが同じでも順位は分かれる。非情にして最も判り易い決着がつくのだ。
オリンピックとは超人同士の争い。どの選手も自身の国では超人と恐れられていた選手ばかりだ。その超人たちが死に物狂いで目指すのがオリンピックのメダル。数字にすれば本当に僅かな差でしかない。だが僅かに見えるその差が実は途方もなく大きく、途方もなく遠いことを理解しているだろうか。そのことを理解できない選手は勝利を握ることはできない。
近くて遠い差、短くて長い距離。最後の運命を分けるのは選手自身の心だ。
(写真1)東京都の認定記録会。男子400mはすでに3分の世界に入っている。遠藤達樹が認定記録会で3分59秒を出す(写真・右)。田山は4分11秒(写真・左)。このタイムが世界で戦うための標準的なタイムだ。
(写真2)女子の若手選手も躍進著しい。5000mを17分30秒で当たり前のように走る。世界選手権シリーズへの出場を望むならば最低このタイムが求められる。左から、山本奈央(U23)、佐藤優香(ジュニア)、土橋茜子。
中山俊行プロフィール
中山俊行(なかやま としゆき)
1962年生まれ
日本にトライアスロンが初めて紹介された18歳のときトライアスロンを始める。
日本人プロ第1号として、引退までの間、長年に渡りトップ選手として活躍。
引退後も全日本ナショナルチーム監督、チームNTT監督を歴任するなど、日本の
トライアスロン界をその黎明期からリードし続けてきた「ミスタート ライアス
ロン」。
【主な戦績など】
第1回、第2回 宮古島トライアスロン優勝
第1回、第2回 天草国際トライアスロン優勝
1989年から8年連続ITU世界選手権日本代表
アイアンマン世界選手権(ハワイ・コナ)最高順位17位(日本歴代2位)
初代・全日本ナショナルチーム監督
元・チームNTT監督
元・明治大学体育会自転車部監督