パリ・オリンピックにおけるトライアスロン競技が終了した。
いろいろな問題があったが選手はベストを尽くし、そして結果は出された。
女子は地元の応援を力に変えたカサンドラ選手、男子は最後の最後に超人的な走りを見せたアレックス選手。
どちらも金メダリストに相応しいレース内容であり、結果であった。
しかしトライアスロンでもっとも話題になったのはセーヌ川の問題。
試泳が中止、男子レースが直前で延期。
キレイとは言えないことは事実だが、マスコミにはもっと競技そのものを取り上げて欲しかった。
そしてレースに大きな影響を与えた川の流れ。
この自然現状に抗い、競技を戦い終えた選手たち。
女子においては雨で濡れた滑りやすい石畳でのバイク競技。
セーヌ河の汚染問題よりも、もっと見て欲しかった選手たちの戦いがあった。
だが現実は競技よりも別の事項で大きく取り上げられてしまった。
日本選手3選手も奮闘した。
特に世界のトップレベルと互角に戦える力を身に着けたニナー賢治選手のレースには期待が高まった。
しかしスイムにおいて他選手に顔面を蹴られ、鼻骨を骨折しながらの戦いとなりメダル争い、入賞争いには至らなかった。
レース後も彼は一切の言い訳をしなかったが事実は事実として伝えたい。
だが結果は結果でしかない。
さて4年後はロサンゼルス。
まだ会場は確定していない。
どんな環境下でのレースになるかは分からない。
だが「本当に強い選手が勝つ」という現実も変わらない。
苦戦を強いられる可能性が高い日本チームだが、逆転は可能だ。
但し、そのためには選手だけに戦わせてはならない。
担当指導者はもちろんだが、それを支える協力者、そして競技団体。
JTUの本気度も問われてゆく。
【写真1】
7月21日の全国中学生大会(長良川)が開催され。
終了後、そのまま海津市においてユースキャンプを実施。
レースの疲労状況を確認しながら基礎技術、基礎となる思考回路の指導を進める。
但し、楽しく学ぶことが基本。
【写真2】
「中学生がトライアスロンに触れる機会を増やしたい。」
そんな想いもあり神奈川県では10月6日の川崎in東扇島大会にスーパー・スプリントの部を設置。
51.5km(SD)には18歳以上~ベテランまで。
25.75km(SP)には高校生以上~ベテランまで。
12.875km(SSP)には中学生以上~ベテランまで。
公式距離3種類を設定。
自分の目的に合った距離を選んでレース出場が可能だ。
中山俊行プロフィール
中山 俊行(なかやま としゆき)
1962年生まれ
日本にトライアスロンが初めて紹介された18歳のときトライアスロンを始める。
日本人プロ第1号として、引退までの間、長年に渡りトップ選手として活躍。
引退後も全日本ナショナルチーム監督、チームNTT監督を歴任するなど、日本のトライアスロン界をその黎明期からリードし続けてきた「ミスタートライアスロン」。
【主な戦績など】
第1回、第2回 宮古島トライアスロン優勝
第1回、第2回 天草国際トライアスロン優勝
1989年から8年連続ITU世界選手権日本代表
アイアンマン世界選手権(ハワイ・コナ)最高順位17位(日本歴代2位)
初代・全日本ナショナルチーム監督
元・チームNTT監督
元・明治大学体育会自転車部監督
第32回オリンピック競技大会(2020/東京)トライアスロン日本チーム監督