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第202回コラム「探せ、有望選手!」

テレビでも話題になる少子化問題。
スポーツ界においても他人事ではない。
そうでなくてもスポーツ離れ、運動不足が叫ばれる時代。
全体の子供人口が減ればスポーツに触れる子供人口も減る。
当たり前のことが現実化してきている今、有望選手の育成はもちろん発掘がさらに重要となる。

JOC(日本オリンピック委員会)、JSC(日本スポーツ振興センター)としても看過できないこの重大問題。
子どもたちに様々なスポーツに触れるチャンスを与え、スポーツを楽しむ人数を増やす。
スポーツを楽しむ人数を増やすことで、子供たちが活躍できる可能性を広げようという施策を何年も前から実施している。
このジュニア・キッズ選手の発掘と併せて、アスリートトランスファーと称した他競技との連携を図る方策も取られているが、こちらは余り知られていない。

ある競技選手がここに居る。
この競技種目ではオリンピックで戦えない。
だが別の競技、種目では戦えそうだ。
ならば他競技に転向して取り組んではどうか。
それが可能となるように競技団体が連携し、協力し、競技は異なっても良いので、その選手がトップアスリートになれるチャンスを増やしてゆこう。
簡単にいえばこのようなシステムを作り上げること。

だがこの施策も簡単ではない。
オリンピックに関わる指導を行なっている指導者においては比較的容易に受け入れられる場合がある。
選手の努力を知っているから、その選手が別種目、別競技であっても世界の檜舞台で戦えることを支援したいという気持ちを理解できるからだろう。
だが現実、一般の指導現場ではうまくゆかない。

現場指導者にとっては世界の舞台で戦うところまで選手を引き上げることは簡単な話ではない。
そのため競技や種目の移籍、変更の提案は、今この時点で自身の指導下で一生懸命に取り組んでいる選手を「取られる」「引き抜かれる」という気持ちの方が強くなる。
選手指導によって生計を成り立たせているプロ指導者であればなおさらだ。
現場指導者の心が狭い、という話ではない。
それぞれの現場には目指すものがあり、そして目標はそれぞれに異なり、それぞれに事情があるということを理解しなければならない、ということだ。
確かに育成の段階で「世界のトップになれるか否か」というのは判断が難しい。
このような諸事情を理解しながらも可能性ある選手を発掘し、育成、そしてトランスファーを考えてゆく必要があるのだ。

さて日本トライアスロン連合においては。
2023年度には中学生世代を対象としたユースキャンプを通常の1回から3回開催へと増やした。
また協力いただける地域で「トライアスロン体験会」を開催した。
トライアスロンを体験すること、トレーニングを経験すること、トレーニングを楽しみ、選手自身のレベルアップに役立てられることを目指した。
参加してくれた選手たちには大いにトライアスロンを感じてもらい、体験してもらったと考える。
このような機会を通じてトライアスロンに挑戦してくれる選手が増えてくれれば嬉しく思う。

体験→即・挑戦とする必要はない。
選手自身がすでに取り組んでいるスポーツを優先しながらも、トライアスロン競技を頭の片隅に置いてもらえればそれで良いのだ。
そして、いつか、どこかの時点で「やりたい」と思い出した時に、受け入れられる体制を作っておくことが我々の使命だ。
トライアスロンは持久系のスポーツ。
本気で持久力を養うのは10代半ばを過ぎてからで良い。
それまでは様々な動きを身につけ、スピードや瞬発力、柔軟性を身につけていってほしい。
選手だけでなく保護者も指導者も、焦らず、あわてず、でも粘り強く取り組んでくれることを願う。

 

【写真1】
宮崎で開催されたユースキャンプ。
沖縄からも選手が参加。
特にバイク技術は、練習を実施している中でぐんぐん上達していた。
いち早くこの世代に体験してもらい学んでもらうことで技術向上、安全性の向上が期待できる。

ユースキャンプ_宮崎

 

 

 

 

 

 

 

 

【写真2】
福島県Jヴィレッジで開催されたトライアスロン体験会。
「これからトライアスロンをやってみようかな」という選手・保護者に向けた体験・発掘イベント。
キッズ選手にとってスポーツバイクに乗る機会が少ないのは全国共通。
トライアスロンの楽しさを少しでも伝えることができれば嬉しく思う。

体験会_福島

 

 

 

 

 

 

 

 

 

中山俊行プロフィール


中山 俊行(なかやま としゆき)

1962年生まれ
日本にトライアスロンが初めて紹介された18歳のときトライアスロンを始める。
日本人プロ第1号として、引退までの間、長年に渡りトップ選手として活躍。
引退後も全日本ナショナルチーム監督、チームNTT監督を歴任するなど、日本のトライアスロン界をその黎明期からリードし続けてきた「ミスタートライアスロン」。

【主な戦績など】
第1回、第2回 宮古島トライアスロン優勝
第1回、第2回 天草国際トライアスロン優勝
1989年から8年連続ITU世界選手権日本代表
アイアンマン世界選手権(ハワイ・コナ)最高順位17位(日本歴代2位)
初代・全日本ナショナルチーム監督
元・チームNTT監督
元・明治大学体育会自転車部監督
第32回オリンピック競技大会(2020/東京)トライアスロン日本チーム監督

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