新型コロナの流行により国内でWTポイントを大きく稼ぐことができる大会が激減した。
シーズン前半のWTCS横浜大会、そしてAsTC大阪大会、シーズン後半のWTC宮崎大会の3レース。
そのうちの2レースが5月に開催された。
アジアU23・ジュニア選手権、日本選手権といった小さくポイント稼ぎができる大会もあるが横浜、大阪の大会は2024年パリ・オリンピックを目指す選手にとっては重要で貴重な大会だ。
13日(土)に開催された横浜大会。
あいにくの雨となりバイクコースがイージーコースに変更。
逃げが決まり辛い設定となった。
そんな中でも女子においては圧倒的な力をもつ選手たち7名がスイムで先行、そのままバイクで決定的な差をつけランで順位の争い。
先頭グループに入れなかった時点で、メダル争いへの参加資格はなくなった。
スイムで先頭グループにつけなければ勝負に参加できない、という状況は2012年・ロンドン五輪のときから変わらない。
比較的、力関係が拮抗している男子はバイク前半、ニナー賢治選手を含む少数選手が先行するが、ブルーメンフェルト選手などバイクで絶大な力をもつ選手たちがスイムで出遅れたため一丸となって前グループを追う。
その結果、バイクではほとんどの選手を引き連れて先頭グループに追いついてきた。
そして大集団からのランニング勝負。
入賞ラインでランを勝負し続けたのはニナー賢治選手。
最終的には11位。
彼よりもう少し強いバイク、もう少し速いランの実力を身につければオリンピック入賞が現実的なものになることを日本男子選手に対して示してくれる結果となった。
横浜から2週間後、大阪城公園。
コンチネンタルカップとしての開催なので海外選手は少なく横浜と比較すればレベルは大きく異なる。
男子はやはりスイムから先行した選手たちがバイクで差を広げる。
後方からバイク種目で追い上げるだけの走力をもった選手がいないことは日本選手の弱点をそのまま示している。
ベテランの域に入った古谷純平が自身のプラン通り圧勝。
若手選手が誰一人抵抗できなかったことは非常に残念だ。
女子もやはりスイムから先行した選手がバイクで差を広げる。
第1グループでは復活を賭けた岸本新菜選手、佐藤優香選手が意地をみせる。
第2グループでは新時代を担う林愛望選手を筆頭に中嶋千紗都選手、林彩夢選手が追う。
その差はじわじわと開き、ランに入ると岸本選手、佐藤選手の争い。
それを次世代選手が追い詰めようと挑んで来る。
非常に見応えがあり、喜ばしいレース内容と結果だった。
重要な国内2レースを終え、シーズンは中盤を迎えている。
この後に続くレースに参戦しながらも、ここまでで確認できた課題を少しでもクリアすることが選手には求められる。
後半戦の重要なレースまでにどこまで修正できるか。
世界のレベルは上がり続けている。
もちろん日本選手のレベルも上がっているが、世界との差が詰まっているとはいえない。
悲願でもあるオリンピックでのメダル獲得、入賞を勝ち取るためには、このままのペースでは達成できない。
残された時間で何ができ、何をすべきか。
目標を達成するためには、選手、指導者、関係者が一丸となって考え、行動をしてゆくことが必要だ。
【写真1】
雨の横浜での戦い。
バイクは大集団となる。
濡れた路面の中、ハイスピードからのブレーキング。
コーナーへと突っ込んでゆく。
第1グループに位置した日本男子選手は、このような状況の中でも安定して走る。
技術面での進歩を感じることができた。
【写真2】
2023年・大阪での戦いは現エリート選手に軍配が上がった。
しかし次世代選手はすぐ後ろまで来ている。
ベテラン、中核、新鋭の3つ巴の戦いが日本のレベルを上げてゆく。
女子は選手層をいかに厚くしてゆくかが大きな課題だ。
中山俊行プロフィール
中山俊行(なかやま としゆき)
1962年生まれ
日本にトライアスロンが初めて紹介された18歳のときトライアスロンを始める。
日本人プロ第1号として、引退までの間、長年に渡りトップ選手として活躍。
引退後も全日本ナショナルチーム監督、チームNTT監督を歴任するなど、日本のトライアスロン界をその黎明期からリードし続けてきた「ミスタートライアスロン」。
【主な戦績など】
第1回、第2回 宮古島トライアスロン優勝
第1回、第2回 天草国際トライアスロン優勝
1989年から8年連続ITU世界選手権日本代表
アイアンマン世界選手権(ハワイ・コナ)最高順位17位(日本歴代2位)
初代・全日本ナショナルチーム監督
元・チームNTT監督
元・明治大学体育会自転車部監督
第32回オリンピック競技大会(2020/東京)トライアスロン日本チーム監督