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第187回コラム「関門を通り抜け獲得した日本チームとしての勝利。」

新型コロナ感染者が激増し始めた7月中旬。
カザフスタンでも感染者が激増し、渡航注意の対象国となってしまった。
そこはアジア・トライアスロンU23/ジュニア選手権が開催される場所。
果たして大会は予定通りに開催されるのか。
開催2週間前、カザフスタン第2の都市ヌルスルタン(旧・アスタナ)に黄色信号が灯った。
それでも選手は「開催される」と信じて準備を進めるしかない。
日本を出発する直前に「予定通りの開催」との連絡が届いたが現地に行かねば本当に開催できるかは不明な状況。
これが第1の関門。

さて次はカザフスタンまでの経路。
各航空会社が大幅に減便しているため利用できる手段が限られる。
利用航空会社はターキッシュエアー。
トルコは、ロシア、ウクライナ、EUとも良好な関係を築いているため不測の事態への心配はかなり少ない。
しかしイスタンブールまでの飛行時間13時間。到着後、乗り継ぎのための待ち時間は13時間。
次の出発までホテルで休息を取れる体制を作るが、イスタンブールに到着しないと、どうなるか判らない。
最終的には問題なく休息を取ることができたが、不明点が多い中での出発はやはりストレスになったと思う。
これが第2の関門。

ヌルスルタンには真夜中(午前2時過ぎ)に無事に到着。
しかし今度はバイクが届かない(3台)。
航空会社や日本の代理店に確認するが不明だと言う。
選手はレースを控えているので、とにかくホテルへ移動。
バイクの捜索は夜が明けてからの対応となる。
数日後、スタッフや代理店の協力のもと最終的に2台が到着する。
しかし1台は最後まで届くことは無かった。
バイクが届かない選手のストレスはかなり大きい。
これが第3の関門。

結局、行方不明の3台目のバイクは見つからず。
選手はスペアバイクで出場することに。
このバイクは、不測の事態を予想して準備した帯同スタッフのバイク。
ポジションも微妙に合わない、走行特性も異なる、ブレーキのタッチもちょっと違う。
それでも選手は出場に向けてベストを尽くす。
慣れないバイクでのレースはストレスだけではなく、リスクを伴う。
不安は的中し、バイクスタート間も無く落車。
これが第4の関門。

レースの運営はしっかりしていた。
スタート時間が多少ずれたりはしたが大きな問題なく4つのレースは進む。
U23女子、U23男子、ジュニア女子、ジュニア男子。
世界選手権では我々は挑戦者として戦うが、アジア選手権ではディフェンディングチャンピオンとして戦うことになる。
そのため「日本チームとして勝つこと」を最優先事項として選手、スタッフ全員で作戦をたて戦略を練る。
レース前のレクチャーを理解し、選手自身が動けるのか。
第5の関門。

結果として全選手が理解し、内容の伴ったレースをしてくれた。
勝ったレース、負けたレースはあるが、それは勝負事。仕方がない。
だが全員がしっかりと考えて、状況に応じた判断をし、それぞれの役割を果たしながら日本チームの勝利、個人の勝利を目指して戦ってくれた。
第6関門となる「レースそのもの」に対する私の評価は「VERY GOOD」だ。
詳しい結果はJTUのHPを確認してほしい。

そして帰路。
ここまで新型コロナにかかることなく過ごしてきた。
最終関門は空港での待ち時間とフライト(飛行機機内5時間+13時間)。
更にヌルスルタン空港での待ち時間は4時間。
イスタンブール空港では飛行機が予定フライトよりも2時間30分以上も遅れ、結果として真夜中の空港で6時間以上の待ち。
レースで疲労困憊の選手たちにとっては睡眠不足が追い打ちをかけ、体調を崩す選手も出てしまった。
長時間のフライトを乗り越え全員が無事帰国。

数々の困難に直面しながらも選手たちは戦い切った。
良い経験にもなったと考える。
現地ヌルスルタンの学生ボランティアが非常に友好的で我々をサポートしてくれた。
だが今回の遠征中、誰よりも積極的に戦ったのはチームリーダーの武友JTU次世代育成スタッフ。
毎朝3時からロストバゲージへの対応、日中は選手の取りまとめと日本との交信。
武友チームリーダーの活躍が日本チームの好成績につながったといえよう。

そして選手全員が無事に帰国できたことを心から嬉しく感じた遠征だった。
 
 
ジュニアメダリスト

【写真1】
ジュニア選手(男子2名、女子3名)は全員が表彰台および入賞を果たした。
高校で陸上部に所属している選手は4人。
女子ジュニア2選手には帰国後に陸上の高校総体が待ち受ける。
 
 
ヌルスルタンボアランティア
【写真2】
ヌルスルタンで積極的にサポートをしてくれた2名(写真中央)。
どちらも学生。
カザフ語、ロシア語、英語を話す。
完璧でなくても良いから、我々も英語は話せるようにしておこう。
その方が色々な選手や人たちと話ができる、仲良くなれる、そして楽しい。

 
 

中山俊行プロフィール


中山俊行(なかやま としゆき)

1962年生まれ
日本にトライアスロンが初めて紹介された18歳のときトライアスロンを始める。
日本人プロ第1号として、引退までの間、長年に渡りトップ選手として活躍。
引退後も全日本ナショナルチーム監督、チームNTT監督を歴任するなど、日本のトライアスロン界をその黎明期からリードし続けてきた「ミスタートライアスロン」。

【主な戦績など】
第1回、第2回 宮古島トライアスロン優勝
第1回、第2回 天草国際トライアスロン優勝
1989年から8年連続ITU世界選手権日本代表
アイアンマン世界選手権(ハワイ・コナ)最高順位17位(日本歴代2位)
初代・全日本ナショナルチーム監督
元・チームNTT監督
元・明治大学体育会自転車部監督
第32回オリンピック競技大会(2020/東京)トライアスロン日本チーム監督

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