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第177回コラム「東京2020大会終了。その結果は、そして次へ。」

第32回オリンピック競技(2020/東京)は終了した。
無観客ながら日本は過去にないメダル数を獲得した。
我らがトライアスロン競技においては残念ながら目標達成には至らなかった。
入賞まであと一歩。
でもこれは過去の2012ロンドン、2016リオでも同じ。
手の届くところにはあるが手に入れることができなかった目標だ。

選手は全力を尽くして挑戦した。
この事実だけは認めてほしい。評価してほしい。
個人戦もミックスリレーも全力で挑んでいった。
結果が伴わなかったのは私の指導力不足である。
大いに反省し、批判も受け入れる。
思うところはあるけれど、今できることを出し尽くした結果だ。
ただ選手はねぎらってあげてほしい。

さて今回の結果を通しても改めて感じることは多かった。
男子・金メダリストのK.ブルーメンフェルトとノルウェーチーム。
大会前に日本チームは一緒に合宿を行っていた。
もちろん新型コロナ感染防止対策を十分に行った制限下ではあるが。
彼は優勝することを常に意識していた。
当然、トレーニングや行動、日常生活もそれに相応しいものだったと感じる。
G.イーデン、C.ストーンズもメダルを獲得する気は満々だった。
3つしかないメダルをノルウェーが独占する気持ちをもっていたと推察する。
もちろんそれは簡単な目標ではないが。

だがブルーメンフェルトは目標を達成した。
最後のランニング、A.イー(GBR)、H.ワイルド(NZL)との死闘を制した。
5000mベストタイムが13分20秒前後、10kmも27分台で走る選手を撃破したのだ。
出場選手中、もっとも速いタイムをもつ選手が得意種目で負けることは許されない。
そういったプレッシャーを背負ってA.イーも戦っていたはずだ。

女子優勝のF.ダフィーも同じ状況だっただろう。
2019年の圧倒的な強さは2020年には全く見られなかった。
しかし2021年の本番に向けてしっかり仕上げてきた。
言葉にすれば簡単な表現になるが、その道のりは容易ではなかったはずだ。

日本選手が全力を尽くしたことは先に述べた通りだ。
だがスタートラインに立った時の状況は大きく異なっている。
誰もが「強くなりたい」「速くなりたい」と熱望して厳しいトレーニングに励んでいる。
だがそれでもメダリストの領域には達していないことは明白だ。
これは選手だけの問題ではない。
指導者の意識もここに到達していなければならない。
もちろん競技団体には全力でそれを支えてほしい。
全者の意識が同じレベルに到達しなければ目標達成への道は更に遠くなるだろう。
そこまで到達させることができなかった自身の力不足を認めた上で伝えさせてもらう。

戦いの朝
【写真1】
戦いを間近に控えたトライアスロン会場。
観客の声援がないことは寂しいが、厳かな雰囲気の中で行われるレースも悪くはない。

 
 
 
CB_bike
【写真2】
王者のバイク。
DHバーを付けているのはバイクで逃げ切ることを想定している証。
そしてビッグプーリーなど余計な装備を付けていないオーソドックスな
確実性の高い構成になっていると感じる。

 
 

中山俊行プロフィール


中山俊行(なかやま としゆき)

1962年生まれ
日本にトライアスロンが初めて紹介された18歳のときトライアスロンを始める。
日本人プロ第1号として、引退までの間、長年に渡りトップ選手として活躍。
引退後も全日本ナショナルチーム監督、チームNTT監督を歴任するなど、日本のトライアスロン界をその黎明期からリードし続けてきた「ミスタートライアスロン」。

【主な戦績など】
第1回、第2回 宮古島トライアスロン優勝
第1回、第2回 天草国際トライアスロン優勝
1989年から8年連続ITU世界選手権日本代表
アイアンマン世界選手権(ハワイ・コナ)最高順位17位(日本歴代2位)
初代・全日本ナショナルチーム監督
元・チームNTT監督
元・明治大学体育会自転車部監督

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