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第138回コラム 「私のライバルたち」

先般、とある場所でプレゼンテーションを行った。
その場所で懐かしい顔を見ることができた。
現役時代、私自身がライバル視していた選手たちだ。
選手がレベルアップするにはライバル選手の存在は不可欠だ。

私が現役時代にライバル視していた選手たち。
トライアスロン界においては、ほぼ同時期に始めた飯島健二郎や山本光宏。
この2人にはビジュアル的には完全に負けていた。
そのため競技では絶対に負けないと心に誓い戦っていた。
やや遅れて日本アイアンマン史上、最強を誇る宮塚英也が登場。
現役末期には小原工といった新たなライバルも出現。
何も分からない時代に切磋琢磨した仲間たちは年齢の違い立場の違いはあれど、今だに最大のライバルであり最も大切な戦友でもある。

選手時代の私には、競技種目は違っていたが勝手にライバル視していた選手たちが存在する。
この選手たちに勝ちたい。
負けてなるのもか。
いつも心に想っていたライバル選手たち。
残念ながら最後まで追いつくことはできなかった。

2大会連続でメダルを獲得した女子マラソン・有森裕子選手。
金メダルしか狙わないと宣言をして、それを実現させた鈴木大地・現スポーツ庁長官。
総崩れだった日本柔道を最後に救った金メダリスト、柔道の故・斉藤仁選手。
当時オリンピック種目ではなかったが日本テニス界の歴史を作った松岡修造選手。

同じスポーツ・トレーナーに指導を受け、治療を受けていたこともあり彼らの絶頂期に話を聞けたことは自身にとって貴重な宝であった。
メダルを取るために必要なこと。
メダルを取るための考え方。
日常生活の過ごし方。
トレーニングへの取り組み姿勢。

「オリンピックに出場する選手」と「オリンピックでメダルを取る選手」の違いを明確に感じることができた。

日本トライアスロン界の目標「オリンピックメダルの獲得」。
彼らと同レベルの取り組み方をしている選手は本当に僅かしかいない。
歴史が浅く、選手層も薄いトライアスロンにおいてはレベル格差が大きく、特に若い世代では簡単に日本代表ジャージを着ることが可能である。
そのため、多くの勘違いトライアスリートが生み出されている現状がある。

どこを基準に自分のレベルを考えるのか。
「日本一」を目指すのか、「世界一」を目指すのか。
その時点ですでに未来は大きく異なってくる。
そして「世界一」を口にするのであれば覚悟が求められる。
24時間、365日、油断している時間などどこにもない。

破留氏
【写真1】
TEDxMeijiUniversityにてプレゼンを実施。
隣は書道家で元トップスイマーの破留氏。
アテネ五輪前、日本代表となった中西真知子と共に東海大学で一緒にトレーニングをしていた。
「一歩」。
進むも立ち止まるも自分次第だ。

 

学生王者・野本空
【写真2】
明治大学自転車部は日本でもトップクラスのチームだ。
2016年全日本大学対抗選手権ロードレース優勝、全日本学生ロードレースカップ・シリーズランキング1位の野本空選手。
これだけの実力をもってしても自転車競技の世界ではオリンピックへ出場することすら容易ではない。

中山俊行プロフィール

中山俊行(なかやま としゆき)

1962年生まれ
日本にトライアスロンが初めて紹介された18歳のときトライアスロンを始める。
日本人プロ第1号として、引退までの間、長年に渡りトップ選手として活躍。
引退後も全日本ナショナルチーム監督、チームNTT監督を歴任するなど、日本のトライアスロン界をその黎明期からリードし続けてきた「ミスタートライアスロン」。

【主な戦績など】
第1回、第2回 宮古島トライアスロン優勝
第1回、第2回 天草国際トライアスロン優勝
1989年から8年連続ITU世界選手権日本代表
アイアンマン世界選手権(ハワイ・コナ)最高順位17位(日本歴代2位)
初代・全日本ナショナルチーム監督
元・チームNTT監督
元・明治大学体育会自転車部監督

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