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第122回コラム「登場!!ロングディスタンスの新鋭」

日本のロングディスタンスレースの代表格・宮古島トライアスロン。
その宮古島を本拠とする宮古島トライアスロンクラブが本年30周年を迎えた。
1985年第1回大会終了後に長間剋宏氏を中心に、第1回宮古島大会島内最高順位を記録した狩俣直志氏や現在は指導者として活躍している本村邦彦氏がそのメンバーだ。
当時は51.5kmのトライアスロンは一般的ではなく、ロングディスタンスこそトライアスロンというイメージが強かった。

もちろん私も皆生とハワイ・アイアンマンがトライアスロン競技における最初の目標だった。
私の時代には山本光宏、飯島健二郎が存在し、少し遅れて宮塚英也がデビュー。
ハワイ・アイアンマンでは私のベストが17位。山本光宏のベストが17位。
宮塚英也が日本男子選手として唯一入賞を果たしている。
その後、田村嘉規、谷新吾、松丸、河原と日本選手が世界に挑戦し続けたが、宮塚を上回る結果を出すことができていない。

女子においても村上純子がエリート表彰台に上ったのが最初で最後。
堀陽子、志垣姉妹、今泉奈緒、塩野絵美と有力な日本女子選手が続くがあと一歩のところで手が届かない。

一方、エイジグループに目を向けると、これが驚くほど強い。
男女を問わず、特に年齢が高めのカテゴリーは入賞などザラ。
表彰台も珍しくない。
エイジグループ=ビジネスアスリート。
仕事をしながらトレーニングに励む選手たちを指す。
トライアスニート(仕事もせず結果も出してない選手)や自称プロ選手などより素晴らしい結果を残している。

ここ最近、ハワイ・アイアンマンでの入賞とは無縁となってしまった日本選手。
オリンピック・トライアスロンに注目が集まってしまっていることも影響している。
ロングではなかなかスポンサーが見つからない。
現在のロング・エリート選手の多くはビジネス・トライアスリート。
これはこれで素晴らしい。
だが残念ながら専業のプロ選手には及ばないのも事実。

そんな寂しいロングの世界に久々に表れた新星「戸原開人」。
既にトライアスロンLUMINAでも特集を組んである。
彼がホンモノとなれるかどうか。
久々の大型新人選手の同行を期待して観てゆきたい。

IMG_1233
【写真1】
日本の女子が元気だった時代のロング女子トップ・トライアスリート。
日大OG選手たちが一時、日本ロング女子のトップを席巻した。
この3選手を支えたのがメイストーム大西氏だ。

kona Ironman フィニッシュ手前

【写真2】
私がこの風景を最後に見たのは1996年。
もう一度行ってみたいと思う。
選手としてか、コーチとしてか、観客としてか、それは判らない。

中山俊行プロフィール

中山俊行(なかやま としゆき)

1962年生まれ
日本にトライアスロンが初めて紹介された18歳のときトライアスロンを始める。
日本人プロ第1号として、引退までの間、長年に渡りトップ選手として活躍。
引退後も全日本ナショナルチーム監督、チームNTT監督を歴任するなど、日本のトライアスロン界をその黎明期からリードし続けてきた「ミスタートライアスロン」。

【主な戦績など】
第1回、第2回 宮古島トライアスロン優勝
第1回、第2回 天草国際トライアスロン優勝
1989年から8年連続ITU世界選手権日本代表
アイアンマン世界選手権(ハワイ・コナ)最高順位17位(日本歴代2位)
初代・全日本ナショナルチーム監督
元・チームNTT監督
元・明治大学体育会自転車部監督

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