第25回皆生トライアスロン大会が終わった。日本トライアスロンの歴史を作ってきた皆生大会は800人以上の選手が参加して行われた。地元の英雄・小原工を筆頭に、テイケイの三木、藤原ユージ、河村政勝、八尾彰一、新進気鋭というよりは20年近く競技を継続してきている選手達の参加が多く見られた。女子においては岡いずみ、松本晴美、松本華奈、小椋よう子といったロングの豪華メンバーが揃っていた。
この大会には交通ルールを遵守するという基本項目がある。当然、それは信号を守るという意味である。信号で勝敗の明暗が分かれるのではと思うが、その通りだ。しかし選手は、それも競技のうちと割り切るしかない。そうやって選手と大会が相互理解をしてゆかなければ190kmに及ぶ長大なコースを毎年使用することは難しいのだ。
さてトップクラスはトライアスロンの本質を理解して参加する選手が多かったようだ。男女優勝者など上位入賞者においては、ドラフティングは限りなくゼロに近かった。ところが相変わらず、それを理解できない選手も多数存在していたようだ。会場においても、機会ある毎にドラフティングをしないよう話をさせてもらったが、「自分のとの戦いに勝つこと」よりも「勝てば官軍。入賞して認められたい」的な選手がゼロにならなかったことは残念だった。大会主催者も昨年以上のマーシャル体制を組んで記念大会をフェアなものにしようと努力していたが、100%完璧なレースの流れを作ることは難しかったようだ。
さて私自身のレースは、小原工に対抗する間もなくレースを走ることとなった。SWIMスタート200m地点で既に小原は、はるか前方を泳ぎ、私は水飛沫の雑踏の中に沈んでいった。レース中、苦しくなるたびに無理やり参加(実際は自主的)させた小原工に責任をなすりつけようとし、立ち止まる理由をひたすら考えていた。これホント!
BIKEで女子選手の遠ざかる背中にヘコたれて、先頭を走る小原の姿にヘコたれて、RUNに入れば動かない身体にヘコたれて、多くの参加者が感じるように「これでもうロングは参加しない」と心に誓いながら走っていた。途中からは他人もタイムも一切関係ない世界に入っていた。目標はエイドステーション以外では歩かないこと、コレ一つ!
辛うじて到達したフィニッシュライン。あれだけ苦しかったのに完走した瞬間「楽しかった」と感じてしまう不可解さ。トライアスロンは本当に不思議な競技だと思う。
そしてもう一つ。「過去に栄光がある選手よりも、今一生懸命練習している選手が強い」という、とても公平な競技であるということ。
私自身は、今回のレースにいくつか目標を立て臨んだ。そのほとんどは達成できなかった。当たり前だ、練習していないのに「小原に勝つ」など目標とはいえないものがほとんどだからだ。しかし、レースをする中で立てた唯一の目標「RUNでは歩かない」ということだけは達成できた。かつて優勝を狙って走っていた頃とは全く違う風景の中での戦いであったが、「完走者全員が勝者である」という信念が正しいことを確認できた戦いだった。
たとえ、それが自己満足であっても。トライアスロンはやはり楽しい!!
(写真1)私より早くトライアスロンに参加した人達で、現在も大会会場で顔を見ることができる先輩は3人程度しか存在しない。その貴重な先輩、東京都連合の北村文俊氏。
(写真2)40歳を越えたオジサンたち。左は河村政勝4位。真ん中は藤原ユージ10位。恐るべき同世代。しかし宮塚は更に速いらしい(藤原談)。
中山俊行プロフィール
中山俊行(なかやま としゆき)
1962年生まれ
日本にトライアスロンが初めて紹介された18歳のときトライアスロンを始める。
日本人プロ第1号として、引退までの間、長年に渡りトップ選手として活躍。
引退後も全日本ナショナルチーム監督、チームNTT監督を歴任するなど、日本のトライアスロン界をその黎明期からリードし続けてきた「ミスタートライアスロン」。
【主な戦績など】
第1回、第2回 宮古島トライアスロン優勝
第1回、第2回 天草国際トライアスロン優勝
1989年から8年連続ITU世界選手権日本代表
アイアンマン世界選手権(ハワイ・コナ)最高順位17位(日本歴代2位)
初代・全日本ナショナルチーム監督
元・チームNTT監督
元・明治大学体育会自転車部監督