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第13回「王者の悲劇」 

ロング・ディスタンスの日本選手権が、9月4日に佐渡島で開催された。長崎五島列島、宮古島と並び称され、東京から近いこともあり、人気と運営の良さで好評の大会である。歴史もあり、地元の方々の協力もしっかりしていた。タクシーやバスに乗っても対応が良く、宿泊した民宿も非常に好感があり、私自身も「参加したい」という気持ちになるような大会だ。
 
しかし悲劇は起きた。日本選手権・男子の部。上位選手の約半数がRUNでコースミス。白熱した戦いが、一気に冷や汗を流す事態に変わってしまった。運営サイドを批判するためにこのコラムを書いているのではない。コースは選手自身が把握してしかるべきだ。それが基本。しかし、上位選手の半数がコースをミスするという問題は選手だけの「意識の問題」ではない。ドラフティング同様で、選手の意識だけで解決できる問題ではないということだ。選手と主催者、運営者の全員が意識してこそ解決する問題。そして今回のコースミスも同様のものである。
 
5連覇を掛けた松丸真幸。彼の夢はRUNのスタート開始まもなくで潰えた。初優勝を狙う絶好調、ケンズの中本と共にコースミス。3位に入賞したベルマーレ・益田大貴も同様。今大会はかなり豪華なメンバーが揃い、日本のロング・トライアスロンが活気を取り戻しつつある雰囲気があっただけに残念だ。結果として実力のある河原勇人が優勝したので、リザルトを見るだけの一般の人達には違和感はないかもしれないが、その実状は違っている。
 
オフィシャルリザルトと公表された以上は、これがこの先の未来に結果として残る。このトラブルはやがて記憶から消え去ることだろう。そして優勝者の名前のみが残ってゆく。優勝を逃した王者・松丸の心には苦い記憶として残ることは理解できるだろうが、せっかく優勝した河原の心にも苦い記憶として残ってしまう。勝者も敗者も、全員が辛い思い出として残ってしまうことを、読者にも関係者にも理解してもらいたい。
 
選手達にはプロも居る。この結果が将来に影を残さないことを祈るのみだ。力の限り戦い負けたのであれば選手は納得できる。勝ったのであれば心から喜べる。今回はこの問題の原因所在を論じているのではない。選手の心の痛みを多くのトライアスリートにも知ってもらいたいのだ。そして選手自身ばかりでなく、運営者も、主催者にも、そういう現状を理解してもらいたいのだ。
 
「選手権」という名称を背負った以上は、そこに人生や青春、命を賭けて参加している選手がいることを忘れてほしくない。そしてその結果が一人の人間の人生を大きく左右する場合がある。選手自身が勝つために、コースを始めありとあらゆることを事前に勉強しておくことは必要だが、その大会を請け負った主催者、実行する運営者にも、同様のことを理解して頂きたいのだ。
 
いまでこそ「アジア選手権」もその名前に相応しい大会になってきているが、第1回、第2回はお粗末な大会でしかなかった。「アジアでの普及」という名目で、その運営もルールもお粗末なまま大会が強行され、予想通り、結果はトラブルだらけ。そこに係わった選手も、主催者、運営者も苦々しい思いをしたことだろう。それは15年以上を経た今でも、私の心にも、一部の選手にも苦い記憶として残っている。せめてもの救いは、その時の優勝者が、やがて日本のトライアスロン界を背負い、日本が世界に誇れるトップアスリートになってくれたこと。彼のおかげで私の心は救われた。
 
松丸、河原という久しぶりに現れた日本のロング界を背負うことのできるライバルといえる2名の選手。この2人が、思い切り戦い、勝敗を決するような戦いの場としてほしかった。松丸は実力以外で敗れ去った悔しさを噛み締めながら次のチャンスを待ち挽回するしかない。優勝した河原にはコースミスで負けた選手の「苦い思い」も理解して、この先「日本選手権王者」という肩書きを背負い、相応しい戦いをしてほしい。そして、こんな悲劇が繰り返されないように、選手も、主催者も、運営者も充分な研鑽をしてほしい。
 
トライアスロンを誰が見ても、誰が参加しても「魅力的なスポーツ」と言われるためにも、悲劇は繰り返してはならない。
 

写真:
エリート男子の選手紹介。国際の部の選手達の前を通り過ぎる。こういう盛上げ演出は佐渡大会の素晴らしさ。背中は高浜邦晃。
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中山俊行プロフィール

中山俊行(なかやま としゆき)
1962年生まれ
日本にトライアスロンが初めて紹介された18歳のときトライアスロンを始める。
日本人プロ第1号として、引退までの間、長年に渡りトップ選手として活躍。
引退後も全日本ナショナルチーム監督、チームNTT監督を歴任するなど、日本のトライアスロン界をその黎明期からリードし続けてきた「ミスタートライアスロン」。

【主な戦績など】
第1回、第2回 宮古島トライアスロン優勝
第1回、第2回 天草国際トライアスロン優勝

1989年から8年連続ITU世界選手権日本代表
アイアンマン世界選手権(ハワイ・コナ)最高順位17位(日本歴代2位)
初代・全日本ナショナルチーム監督
元・チームNTT監督
元・明治大学体育会自転車部監督

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