彼は現役選手であるが、自転車競技のトラック種目が特にマイナーであることを憂い、自転車トラック競技(短中距離競技)を楽しむ場を作りたいと考えた。そして大会を開催することを決断した。その大会はプロ、アマ、老若男女を問わず楽しめるレース。そして驚くべきことに、それに賞金をつけて開催するという大胆なものだった。大会開催に関してはレース場を提供してくれた京王閣競輪場や、多くの関係者の協力があったが、それにしても大会は予想を大幅に上回る参加者を集め、トラック競技としては異例の盛り上がりを見せた。はっきりいって全日本選手権よりも盛り上がった。ハンディをつけるためにプロも、一般選手も、女子選手にも平等に優勝の可能性があったからだ。
日本の自転車競技を盛上げ、少しでもメジャーにしたい。競技団体だけでは対処し切れない部分を補うかのような自転車界初の個人活動だったといえよう。トライアスロン界ではケンズなどが同じような活動を行っているが、こういう選手の存在がそのスポーツを盛り上げてゆく。
トライアスロンをメジャーするのはトライアスリート自身。ドラフティングなどチンケな違反行為をしてトライアスロンを貶めている場合ではない!
さて、もう一つ。先日、空手の試合に出場した。準決勝まで進むも、初めてノックアウト負けというものを喫した。倒されたことにも気づかず、意識が戻った時には天井が見えていた。結果は4位。どれだけ優勢に試合を進めていても一瞬の隙が敗北を呼ぶ。真剣勝負の恐ろしさを認識させられた。そしてその楽しさも。
世界を目指す選手には「真剣勝負とは何か?」今一度考えて来年に向けての活動に取り組んでほしい。
現在はほぼ回復したので心配なく!
(写真)
大会主催者であり世界で戦うサイクリスト吉井功治。今もオーストラリアを転戦中だ。
中山俊行プロフィール
中山俊行(なかやま としゆき)
1962年生まれ
日本にトライアスロンが初めて紹介された18歳のときトライアスロンを始める。
日本人プロ第1号として、引退までの間、長年に渡りトップ選手として活躍。
引退後も全日本ナショナルチーム監督、チームNTT監督を歴任するなど、日本のトライアスロン界をその黎明期からリードし続けてきた「ミスタートライアスロン」。
【主な戦績など】
第1回、第2回 宮古島トライアスロン優勝
第1回、第2回 天草国際トライアスロン優勝
1989年から8年連続ITU世界選手権日本代表
アイアンマン世界選手権(ハワイ・コナ)最高順位17位(日本歴代2位)
初代・全日本ナショナルチーム監督
元・チームNTT監督
元・明治大学体育会自転車部監督