TOP > 連載コラム > トシ中山の「渾身の一撃」 > 第35回「自分流という名の逃げ」 

第35回「自分流という名の逃げ」 

10月22日、東京お台場で日本選手権が開催された。
まさに「日本一」を決める白熱した戦いが演じられ、現時点で「日本最強」の選手がその実力を遺憾なく発揮して見事に優勝を勝ち取った。その戦いの内容、観客を魅了する勝ち方、どれをとっても「日本No.1」と胸を張って言える内容だった。
庭田清美選手、田山寛豪選手の優勝に心から拍手を送りたい。女子は2位に入った関根選手の意地、中西・怪我からの復帰の3位、忽那・粘りの4位、田中・新たな可能性、上田、足立、崎本、大松と25歳以下の選手達がベテラン選手に噛み付く、蔵本、伊藤のジュニア選手同士の意地の張り合い、など見応えは充分だった。

一方男子は、杉本、高濱といった選手が一歩だけ階段を登った。BIKEではまだまだ未熟ながら最後のRUNでは意地を見せ表彰台を勝ち取った。次の一歩を踏み出せることを願う。ここまでは誰もが到達できる場所だから。
嬉しかったことは福井英郎の4位。BIKEで突っ走る姿と共にRUNで粘りきったことは素晴らしい。今後、選手として進むのか、コーチとして進むのか、見守ってゆきたい。
西内、山本とベテラン勢が続くが、相変わらず新しい風は全く吹いてこない。日本男子界の将来は暗い。田山一人で支えているといっても過言ではない。

なぜこんな結果になっているのか。その答えを現場指導者は理解している。理解できていないのは男子選手自身と団体トップの一握り。
原因の一つは所轄競技団体の方針がコロコロ変わること。現場指導者の方針は一貫している。しかし団体のトップの方針に骨がない。結果のみしか追求しない。長期的な展望が無い。従って、現時点の選手強化は各クラブチームの指導者に一任されている。しかし、これはこれで構わない。モチベーションの高い、選手上がりのコーチが少しづつとはいえ増えている。千葉、福島、稲谷、福井、山本と若手指導者は成長している。

最大の原因は男子選手自身にある。
「僕には僕のやり方があるから」「自分のやり方で強くなる」「だから自由にやらせてくれ」。
よく聞くセリフだ。同じ男として力強く嬉しく思う。一匹狼的に自分のやり方を貫くことは男である以上、格好が良い。
しかし、そのほとんどは口だけ。結果には全くつながっていない。セリフとは裏腹に、すべきことをやっていない。
自由に活動する、という言い訳のもと、「逃げ」のセリフとしか受け止められない。成績にその全てが示されている。
「自分のやり方=狭い経験での狭い活動」、「自由にやってゆく=嫌な事から逃げる、困難と対峙しない」。これが現実。
ほとんどの男子選手は指導者に嫌な言葉を投げ掛けられると逃げる。嫌な話を聞こうとしない。そしてその現実から更に逃げ、そして今日まで弱体化してきた。
反論があるなら是非聞かせてほしいものだ。それぐらいの気合も欲しい。もちろん結果を伴った反論を!!!

男子選手に明日はあるのか?
当事者である男子選手がこの事実を認めたときに新たなスタートが切れるだろう。

32

(写真1)左
貴社発表の席に着くトップ選手。いつの日か取材者席が満杯に埋まってほしい。
(写真2)右
激戦の後の表彰式。選手もコーチも一息つける瞬間だ。中西選手と千葉コーチ。

32_2

(写真3)左
中込選手に勝ったのはたったの26人。地域代表やビジネスアスリートは別にして、敗れた強化指定選手はその資格返上をしてくれ!
高濱、次はBIKEも強化して来いよ。
(写真4)右
愛知県からわざわざ来てくれた応援団。こういう熱い人達がエリート選手の背中を押す。所属する吉越選手は見事に10位入賞。

中山俊行プロフィール

中山俊行(なかやま としゆき)
1962年生まれ
日本にトライアスロンが初めて紹介された18歳のときトライアスロンを始める。
日本人プロ第1号として、引退までの間、長年に渡りトップ選手として活躍。
引退後も全日本ナショナルチーム監督、チームNTT監督を歴任するなど、日本のトライアスロン界をその黎明期からリードし続けてきた「ミスタートライアスロン」。

【主な戦績など】
第1回、第2回 宮古島トライアスロン優勝
第1回、第2回 天草国際トライアスロン優勝

1989年から8年連続ITU世界選手権日本代表
アイアンマン世界選手権(ハワイ・コナ)最高順位17位(日本歴代2位)
初代・全日本ナショナルチーム監督
元・チームNTT監督
元・明治大学体育会自転車部監督

Copyright © 2015 Neo System Co., LTD. All Rights Reserved.