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第42回「世界に挑む最低条件」 

4月15日に開催された石垣島ワールドカップ。オリンピックを1年後に控え、各国、各選手とも目の色を変えレースに挑んだ。

男子選手は田山が12位、山本良介が14位という成績だった。昨年の結果から考えれば非常に好成績といえる。ムルラバWCの結果と併せると、まずまずの滑り出しだ。
しかし他の男子選手はレースに参加することもなく終わってしまった。西内、福井とベテラン勢が頑張るが残念ながら勝負に参加することはできなかった。

一方、女子は14位庭田、16位関根、18位上田と無難な順位で終わった。レース展開や、体調、運などで左右される部分もあるので、誉められた結果ではないものの、決して嘆くべき結果でもない。次に大きな期待を掛けたい。

世界の進化は驚くべきものがある。
JTU認定記録会を想定して考えた場合、SWIM400mならば男子は4分20秒、女子では4分40秒を切れない選手は事実上、ワールドカップに参加しても意味がない。
RUNで考えると5kmを男子は15分、女子であれば17分を切れないと勝負に参加することはできない。
あくまで目安であるが「世界で勝負する」というのであれば、まずはこの「最低ライン」をクリアしてほしい。

もう一つの問題点。
日本選手は恐ろしいほどにBIKEが弱い。
ドラフティング許可レースに慣れてしまった近年の選手は、過去に「集団に付いてゆけば良い」という発想が存在した結果、あきれるほど弱い選手が多くなってしまった。
自転車ロードレースに参加したことのあるトライアスリートは、自身の実力を把握しているので、具体的なタイムで測れない「BIKE」という種目の強化を必死に行い、ワールドカップでも何とか対処できている。しかし把握できていない、それ以外の選手は、BIKEで疲労困憊させられ、得意のRUNでは実力の半分程度しか出せないことが現実だ。

若手の選手が「経験」のために世界のレースに積極的に挑むことは大切だ。しかし「世界に挑む」といいながらも、練習での進歩も見られないまま、ただポイントを稼ぐという名目を理由にワールドカップを転戦するケースが見られる。
何のための参戦???と思い悩むことがある。
選手にとってはスポンサーへのアピール、応援者達へのアピールという重要な意味もあるだろうが、参加しても勝負にならないことが、スタートする前から判っている選手では「参戦させること」に意味は無く、むしろ甘えを生じさせる。
「私は日本代表としてレースに参加したことがある」。
このセリフを得るために参戦であればご遠慮願いたい。(エイジグループは除く)これは選手ばかりでなく、コーチや、関係者にもお願いしたいことだ。

レースに運や不運はつきものだ。だが、その選手の実力が最大限に発揮され、レース展開に恵まれた場合に、トップ15ぐらいにフィニッシュできるイメージがないと参加しても「無駄」としか感じられない。
そんな無駄を繰り返していても、ワールドカップへの参加人数が厳しく制限されている現在では新人の強化の妨げにしかならない。
「こういう展開で勝負できれば入賞できる」
「前回よりも確実にレベルが上がっているので、ここでもうワンステップ踏みたい」
「将来を見越した場合ここで世界と勝負したておきたい」

こういった選手だけを派遣してゆくことが重要だ。
頑張らない選手など存在しない。勝ちたくない選手も存在しない。トライアスロンというスポーツで世界に挑もうとする全選手を応援したい。
だからこそ、ヒンシュクを買うことになっても「本気で世界で勝負しようとする選手以外は、日本代表としてレースに参加させてはならない」と声高に叫ばせてもらう。
39(写真左)
体調が悪くても必死になれば勝つこともできる。宮古島大会同日に総合格闘技に参戦。勝利を得た。プロ選手にセコンドについてもらうという豪華なサポートのおかげ(左・佐藤光留選手)。写真右は Hero’s や K-1 でもお馴染みのレフェリー梅木良則。こういう人に「ウイナー(勝者)!」と手を上げ勝利宣言をしてもらいたい。

(写真右)
横浜でトライアスロン大会開催を目指す。横浜中華街でITU会長レス・マクドナルドを迎えた歓迎会。YTA花上会長の尽力もあって、神奈川県松沢知事も同席。すごいメンバーだった。実現できることを強く望む。

中山俊行プロフィール

中山俊行(なかやま としゆき)
1962年生まれ
日本にトライアスロンが初めて紹介された18歳のときトライアスロンを始める。
日本人プロ第1号として、引退までの間、長年に渡りトップ選手として活躍。
引退後も全日本ナショナルチーム監督、チームNTT監督を歴任するなど、日本の
トライアスロン界をその黎明期からリードし続けてきた「ミスタート ライアス
ロン」。

【主な戦績など】
第1回、第2回 宮古島トライアスロン優勝
第1回、第2回 天草国際トライアスロン優勝

1989年から8年連続ITU世界選手権日本代表
アイアンマン世界選手権(ハワイ・コナ)最高順位17位(日本歴代2位)
初代・全日本ナショナルチーム監督
元・チームNTT監督
元・明治大学体育会自転車部監督

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