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第48回「勝つべくして勝つ」 

「勝とうと思うな、思えば負けよ」
勝利を意識し過ぎると、力んだり、自分自身でプレッシャーを掛けたりして本来の力を発揮できず敗れることが多い。自然体で臨むことが大切だ、という意味だろう。

甲子園では「無欲の勝利」という言葉を耳にする。純粋に目の前の試合に全力を尽くすことだけに集中し、その結果、気が付けば「優勝」という頂点に辿り着いていることがある。野球に限らずダークホース的な選手が突発的に勝利することは確かにある。これはこれで素晴らしい。否定するつもりはない。しかしこれらのケースの多くは「棚からボタ餅」的な優勝でしかない。

達人は「勝つこと」を意識しないで戦える。最も安定した精神状態、肉体状態で試合に臨み、戦うことが勝利へつながることと理解している。そして、それが実行できるように長い時間を掛けて修行をしてきた。達人の領域まで辿り着けるのであれば、トライアスロンにおいても「自然体」で臨むことが勝利への最短距離であることは間違いない。

しかしながら所詮は凡人。ましてやスポーツ選手としてのピークは僅かに10年程度。この短い期間で達人の領域まで達することができるだろうか。私にはできなかった。
達人といえども、元をただせば普通の武道家、競技者であった。時には勝利し、時には敗北してゆく中で、勝つための新たな世界へと歩みを進めていったはずだ。そして達人と呼ばれる領域にまで昇華したのだろう。
そこに到達するための第一歩として勝利は不可欠である。勝ったこともない選手が達人の領域に到達できるとは思えない。

五輪や世界選手権に限定した場合、どんな選手が勝つのだろうか。
「誰よりも勝利を望み、勝つためにありとあらゆる努力をし、最後にちょっとだけ幸運に恵まれた選手」であると考える。
勝つための第一歩は「勝とう」と思ってレースに臨むことではないか?
「勝つ」という信念、執念が勝利を呼び込む。「勝とう」と思うこと。願うこと。実行すること。戦うことだ。
これをなくして「ベストを尽くす」だけで勝てるほど勝負の世界は甘くない。

そんなことは判っている。トップ選手は物知り顔でそう言う。しかし実行できている選手は数えるほどしかいない。
「このレースは勝つ!!」と狙ったレースで勝つ。それができてこそプロ選手といえよう。金を稼ぐからプロなのではない。
死にもの狂いで戦うからこそ観客をも魅了する戦いができてくる。頂点を目指して戦わない選手などプロではない。
それが私の考えだ。
「負けても仕方ない」「良く頑張ったよ」と評価するのは観客や応援者であって、選手自身が自分に言い訳するなど論外だ。

果たして「勝利への執念」を持った選手が日本に存在するのか。

10月21日、東京港・お台場で日本選手権が開催される。レース前から本気で「優勝」を狙って挑戦してくる選手は誰なのか。その選手は勝つための戦いをしていたか。そしてその結果は。トライアスリート全員が自身の目で確認してほしい。

「日本一」にもなれない選手が、五輪でメダル獲得などできるとは思えない。
45後輩、明治大学自転車部。今年のチームロードでは準優勝。インカレ団体でも準優勝。
戦前に「優勝」を公言していただけに選手も指導コーチも不満。こういう高い意識レベルに持ってゆくことが大切だ。
45_2「優勝を狙う」と公言し、「明治大学主将」という看板を背負って走り、見事インカレ・ロードで優勝を勝ち取った守澤太志(右・4年)。狙ったレースで優勝を勝ち取ることができる、真の意味で「強い選手」に成長した。左は女子部主将の石井寛子(4年)。全日本アマチュア選手権ではアベック優勝を果たした。

中山俊行プロフィール

中山俊行(なかやま としゆき)
1962年生まれ
日本にトライアスロンが初めて紹介された18歳のときトライアスロンを始める。
日本人プロ第1号として、引退までの間、長年に渡りトップ選手として活躍。
引退後も全日本ナショナルチーム監督、チームNTT監督を歴任するなど、日本の
トライアスロン界をその黎明期からリードし続けてきた「ミスタート ライアス
ロン」。

【主な戦績など】
第1回、第2回 宮古島トライアスロン優勝
第1回、第2回 天草国際トライアスロン優勝

1989年から8年連続ITU世界選手権日本代表
アイアンマン世界選手権(ハワイ・コナ)最高順位17位(日本歴代2位)
初代・全日本ナショナルチーム監督
元・チームNTT監督
元・明治大学体育会自転車部監督

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