TOP > 連載コラム > トシ中山の「渾身の一撃」 > 第54回「デュアスロンの未来」

第54回「デュアスロンの未来」

2008「カーフマン・ジャパン」
国内で開催されるデュアスロンの最大イベント。そのレベルは決して低くはない。
デュアスロンはトライアスロンの副産物・・・こういった認識を持っているトライアスリートは少なくない。
確かにデュアスリートの多くはトライアスロンに参加し、トライアスリートの多くがデュアスロンに参加しているが、トライアスロンの方がメジャーな結果、デュアスロンは今一つ目立つ機会が少ないのも事実。主催者は「デュアスロン」を一つの確立した競技として普及させたいという熱い想いを持っている。デュアスロンがステータスを確保し、その認識を改めさせるためにはデュアスリートのレベルアップが求められる。そして、その挑戦の場を「カーフマン」というシリーズ大会で作り上げたのだ。結果として、それはトライアスリートの強化にもつながってゆく。トライアスロンが世の中で脚光を浴び始めた1980年代。スイマー、ランナー、サイクリストの個別種目のトップ選手たちはそれぞれ「俺の方が速いんじゃないか」と、この新種の競技に挑んできた。単一種目とはいえ世界で戦ってきた選手達は、専門種目では圧倒的に速いし、基礎体力もあり、精神面も強い。3種目を混ぜ合わせた中途半端な競技など楽勝でできる、勝てる、と考えたとしても不思議ではない。トライアスリートの自負を持っていた当時の私は、そういった選手達全てを撃破することで「トライアスリートは強い」ということを証明し、その専門性、独立性をアピールしてきた。それは運よく実現することができた。

デュアスロンという競技を確立させるためには、デュアスリートが、挑んでくる挑戦者達を撃破してこそ、その種目の専門性をアピールできる。オリンピック・クラスのランナーに負けることは許されない。日本代表の自転車ロードレーサーに負けることも許されない。もちろんトライアスリートにもだ。
深浦が現在デュアスリートの看板を背負って戦っている。そして飯干守道という新人が頭角を表し始めた。デュアスリートとトライアスリートとの区分は曖昧ではあるが、「トップ・デュアスリート」という看板を背負ったからには、その運命を背負って戦って欲しい。
そういった選手達が増えることで、この競技が認識され、地位を確立し、レベルを上げてゆく。

トライアスロンもデュアスロンも、似て非なる競技であるが、世界で戦うために必要なものは全く同じだ。デュアスリートのプライドを掛けて「日本最強のデュアスリート」という看板を背負えた選手にだけ世界で戦ってきて欲しい。
51現在のデュアスロン最強の男「深浦祐哉」。この男だけが「山本良介」「細田雄一」「高濱邦宏」と日本のトップ・トライアスリート達を撃破し続けている。
南関東ステージでも王者の風格を持ってレースを引っ張り、そのまま優勝。
51_2表彰台に並ぶトップ・デュアスリート達。もちろん全員がトライアスロンでも活躍している。
左から王者・深浦、期待の新鋭・飯干、ベテラン・森と日本を代表するデュアスリート。そして4番目は「高橋泰夫」40歳。年齢など関係なくトライアスロンでもデュアスロンでも活躍する怪物だ。

中山俊行プロフィール

中山俊行(なかやま としゆき)
1962年生まれ
日本にトライアスロンが初めて紹介された18歳のときトライアスロンを始める。
日本人プロ第1号として、引退までの間、長年に渡りトップ選手として活躍。
引退後も全日本ナショナルチーム監督、チームNTT監督を歴任するなど、日本の
トライアスロン界をその黎明期からリードし続けてきた「ミスタート ライアス
ロン」。

【主な戦績など】
第1回、第2回 宮古島トライアスロン優勝
第1回、第2回 天草国際トライアスロン優勝

1989年から8年連続ITU世界選手権日本代表
アイアンマン世界選手権(ハワイ・コナ)最高順位17位(日本歴代2位)
初代・全日本ナショナルチーム監督
元・チームNTT監督
元・明治大学体育会自転車部監督

Copyright © 2015 Neo System Co., LTD. All Rights Reserved.