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帰ってきた石垣島、波瀾万丈物語

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石垣島に到着したのは5月21日の木曜日。どんよりと空は曇り、時折激しい雨が降る。

その日は東京も朝から雨で、羽田空港で手荷物を預ける際、ビニール傘を放棄したことを後悔した。

沖縄の言葉で梅雨の事を「ユドゥン」と呼ぶそうだ。石垣島を含む八重山地方はなんと昨日(水曜日)にユドゥンにはいったばかりだという。ネットで週間天気を見て愕然とした。そこには大会が開催される日曜日までずうっと雨マークが並んでいた。

2年ぶりにコースもリニューアルして開催される「石垣島トライアスロン大会」。コース図を見ると、バイクコースはサザンゲートブリッジを渡り市街地を抜けると、サンゴ礁やマングローブの美しい名蔵湾に沿って屋良部半島をぐるりと回る一周50km。これは一度ロードレーサーをレンタルしてでも行ってみたいと、スーツケースの中にはバイクシューズ、ヘルメット、オークリーを忍ばせて、ルンルン気分でいた気持ちが、もろくも崩れ去っていった。

南国の雨の降り方は、小雨かと思えば急に土砂降り、そして止んだかとおもって外に出るとまた急に土砂降り、小雨。断続的な雨が強烈なパイカジ(南風)にまじって降る様はまるで台風でも来ているかのような有様で、それが木曜も、金曜も、土曜日も続いた。

土曜日の13時から第1回目の運営会議が開かれた。そこで出てくる情報はどれも悲観的なものばかり。中でも最悪だったのがバイクコースの水没。それも今回のリニューアルコースで一番の「売り」の屋良部半島の崎枝地区が深刻だという。それ以外にも何か所も水没個所や危険個所が見つかり、土嚢などでの必死の防水も徒労に終わっているという。このまま激しい雨が降り続けばスイムも危険だ。バイクコースも水没となれば、ランしかできなくなる。トライアスロンがただのランニング大会になる事だけはどうしても避けたいという気持ちは、ここまで長い期間をかけて準備してきた実行委員全員共通のものであった。ただ一つの望みは石垣入りしてからまったくあてにならない天気予報が、日曜の午前中が「曇り」で風も弱まるという事のみであった。実行委員会ではひとまずその天気予報に一途の望みを託し、様々な状況を想定して準備しようという事になった。

レース当日の朝、夜明け前の5時から準備が始まった。どうやら雨は収まったように見えるが海上は相変わらず強烈なパイカジ(南風)が吹いていた。6時からの会議で海上は強風のための波がかなり立っており、スイムはリスクを下げるため750m1周に。バイクも海岸線を避け、屋良部半島を外した27kmの短縮コースに変更して開催をする事を決定した。

6時30分になると海上レスキュー隊が到着。スイムが1周750mに変更になったことを伝えて準備に入ってもらった。風による波の程度を調べるため、ライフセイバーが1周試泳しカヤックが伴走したがここでまた大きな問題が発覚。風が強すぎてカヤックがうまくコントロールできず十分な救助体制が組めないという。今回のレスキューの主力部隊がシーカヤックでそれを補うジェットスキーの数が十分ではなかったのだ。

1周750mを、1周375mにして2周回にする案。1周375mに短縮する案。何とか選手たちに泳いてもらいたいと様々な意見が出され、交通規制時間との検証が行われたが午前7時最終的にスイム競技中止、リレーはデュアスロン、個人はバイク競技から時差スタートの変則タイムトライアルデュアスロンに決定された。

午前8時45分、中山市長のホーンで個人の第1ウェーブ10名とリレーの第1ランがスタート。その後10~15人が30秒おきにバイクコースへ飛び出していった。強風の中のバイクコースであったが心配された落者や救急搬送は一件もなく関係者は胸をなでおろした。

海上とは裏腹に内陸部のアップダウンを繰り返すランコースはさほど風もなく、高温多湿が選手たちを苦しめた。競技を変則にしたことによって、短時間にたくさんのランナーがランコース内に入り第2エイドの水が一気になくなり補充が間に合わなくなるというトラブルが発生。一部の選手には負担をかけてしまったが、他のエイド担当者の機転でなんとか事なきを得た。こうして、再出発には難産であった石垣島トライアスロン、コースは短くなったもののフィニッシュする選手には笑顔と充実感があふれていた。ちなみに、一番最初にゴールラインを切った福元哲郎に取材記者とカメラマンが殺到、実際に優勝した桑原寛治がひっそりとフィニッシュしたのはここだけの秘密だ。

石垣島トライアスロン2015の記録はコチラ

石垣島トライアスロンの写真

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kiyomoto_1s 清本 直 (TRI-Xプロデューサー ネオシステム株式会社代表取締役)
20代でトライアスロンに出会い、その魅力にとりつかれ、全財産を使い果たす。会社員をやめ、ネオシステム株式会社を設立。全国各地の計測業務に携わる。その後は20年間、トライアスロン大会の裏方を務めるも、2010年20年ぶりに宮古島で復活。あらためてこの競技の魅力を認識し、トライアスロンの普及と発展を強く願っている。
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