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第128回コラム 「ROAD TO TOKYO 2020」

今回のコラムではトライアスロン競技における2020年東京オリンピックへの具体的な道のりを伝えたいと思う。
何となく出たいと思っている選手は多いと思うが、「現実の厳しさ」を敢えて伝える。

逆算方式で説明してゆく。
オリンピックを目指すのであれば知っておかなければならない内容だ。

(1)オリンピック出場枠は最大で「3」。
2020年5月時点でのオリンピック・クオリフィケーション・ランキング(以下、OQR)により国別のランキングが決まり出場枠数が決定する。
もちろんランキングが低ければ「0」となる。
東京オリンピックは地元開催のため「1」枠はもらえるが、OQRで枠を獲得できないレベルであればメダルや入賞を賭けて戦うことなどできるはずがない。
また、この出場枠獲得のための戦いに参加せず、2020年に開催されるアジア選手権に賭けて一発勝負で大陸別枠を獲得しようとする選手が存在するかも知れない。
しかし勝負はそれほど甘くない。
また選考基準もそんなに甘くない。

(2)OQRは2018年5月15日から2020年5月15日に開催された世界シリーズ(WTS)、ワールドカップ(WC)、コンチネンタルカップ(CC)、大陸別選手権などで稼いだポイントにより決定する。
年間10-15レースを戦い、ポイントを稼ぎ続ける体力と気力が必要だ。

(3)2018年5月の時点で、自由にWTS、WCに出場するためには、ITUランキングで100位前後に位置する必要がある。
ランキングの低い選手はエントリーしても大会に出場できない可能性が大きい。
2018年5月までにポイントを獲得しておくことの重要性を認識しておこう。
もちろんJTUとしての規定もあるので、それをクリアしてもらう必要がある。

(4)2018年5月にITUランキング100位以内を目指すためには2016年4月から2018年4月までにWTS、WC、CC、大陸別選手権においてポイントを稼いでおく必要がある。
ランキングの低い選手はエントリーしても出場できない可能性が大きい。
ちなみに2016年4月から2017年4月に獲得したポイントは最終的に1/3となってしまう。
この点数に2017年4月から2018年4月に獲得したポイントが加算されて2018年5月のITUランキングが決まる。

(5)2016年4月からWTS、WCに出場するためには強化記録会にて5.5級をクリアする必要がある。
2015年11月に強化記録会を実施。
2016年1月に追試の強化記録会を実施。
再追試を2016年5月に実施予定。
出場するためにはエリート強化指定を保有する必要がある。

(6)エリート強化指定を保有していない選手。保有していても強化記録会基準をクリアしていない選手はCCでポイントを稼ぎながらトレーニングを積みタイム突破できる準備を進める。
その上で、2016年日本選手権、CCである蒲郡、大阪、村上などでポイントを獲得し、2017年アジア選手権代表の座を獲得するなどして、着実にポイントを積み重ねてゆくことが出遅れた選手の残された道だ。

以上が概略となる。
U23/ジュニア世界選手権、U23/ジュニア・アジア選手権にもポイントはつく。
若手選手にとっては、ここでのポイントも重要だ。

戦いは既に始まっており、まずは比較的ポイントを獲得しやすいCCを転戦することが重要となる。
2016年、国内CCは蒲郡、大阪(スプリント)、村上の3レース。
また近隣のアジア諸国で開催されるCCも重要だ。
CCで入賞できるレベルでなければオリンピックを語ることはできない。

「東京オリンピックに出場したい。」
これを口に出すのであれば今すぐ、できること全てに取り組む必要がある。
夢を叶えるためには本気になって実行に移すことだけが唯一の方法だ。

【写真1】
2016年は、蒲郡、大阪、村上と3レースがC杯として開催される。
U23/ジュニアのアジア選手権にもポイントはつく。
4月に開催されるU23/ジュニア・アジア選手権(広島県廿日市市)への出場権を賭けた選考大会(宮崎)。
ここで戦っている選手たちが2020年東京を目指せる最後の年代だ。
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【写真2】
実力が同じであっても勝てる選手と負ける選手は存在する。
勝ち方を知っているか否か。
先頭を走る苦しさを知らない選手には「勝ち方」は見えてこない。
全日本学生ロードレース・カップ・シリーズ(自転車競技)のシリーズ総合優勝を果たした我が後輩・小林和希。
リーダージャージを守るためには、シーズンを通じて「攻めながら走る」必要がある。
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中山俊行プロフィール

中山俊行(なかやま としゆき)

1962年生まれ
日本にトライアスロンが初めて紹介された18歳のときトライアスロンを始める。
日本人プロ第1号として、引退までの間、長年に渡りトップ選手として活躍。
引退後も全日本ナショナルチーム監督、チームNTT監督を歴任するなど、日本のトライアスロン界をその黎明期からリードし続けてきた「ミスタートライアスロン」。

【主な戦績など】
第1回、第2回 宮古島トライアスロン優勝
第1回、第2回 天草国際トライアスロン優勝
1989年から8年連続ITU世界選手権日本代表
アイアンマン世界選手権(ハワイ・コナ)最高順位17位(日本歴代2位)
初代・全日本ナショナルチーム監督
元・チームNTT監督
元・明治大学体育会自転車部監督

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