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	<title>TRI-X &#187; 東急リゾート</title>
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		<title>Vol.42：火神の巻　第５章その3：ハワイと宮古島は条件が似ている</title>
		<link>https://www.tri-x.jp/4820</link>
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		<pubDate>Tue, 05 Oct 2010 14:17:16 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[tri-x_admin]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[日本トライアスロン物語]]></category>
		<category><![CDATA[アイアンマンハワイ]]></category>
		<category><![CDATA[宮古島]]></category>
		<category><![CDATA[宮古島大会]]></category>
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		<category><![CDATA[東急リゾート]]></category>
		<category><![CDATA[松林　肇]]></category>
		<category><![CDATA[琉球新報社]]></category>
		<category><![CDATA[視察]]></category>
		<category><![CDATA[過酷]]></category>

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		<description><![CDATA[<img src="https://www.tri-x.jp/article/wp-content/uploads/2010/10/5-3-12-100x100.jpg"="0" alt="" class="fl bdr" />体協の役員の多くが疑問符を投げ掛けた。「自分たちには、とても出来ない」との意見がほとんどだった。何しろ初めて観るスポーツである。トライアスロンの３種目の競技のうちマラソンは理解できても、海で泳いで、それからまた自転車で走る等とは、彼らにとって想像にも及ばないスポーツだった。]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>　
<div id="mainColumn">
<h2 class="w_02">日本トライアスロン物語</h2>
<blockquote style="background-color: #f9f9f9; border: solid 1px #ccc;"><p>※この物語は歴史的事実を踏まえながらも、ストーリー性を加味させる為、若干の脚色を施しています。しかし、事実を歪曲したり、虚偽を記すことはありません。また、個人名はすべて敬称を省略しています。</p></blockquote>
<p class="top_cap" style="font-size: 0.9em; color: #848484; margin-bottom: 7px; font-weight: bold;">火神の巻 第5章その3</p>
<h3>ハワイと宮古島は条件が似ている</h3>
<div class="bassui" style="background-color: #f6f6f6; padding: 8px 10px; margin-bottom: 30px;"><strong>【この記事の要点】</strong><br />
<a href="https://www.tri-x.jp/wordpress/wp-content/uploads/2010/10/5-3-12.jpg" target="_self" rel="lightbox"><img class="fl bdr" style="border: solid 1px #ccc; padding: 4px; float: left;" src="https://www.tri-x.jp/wordpress/wp-content/uploads/2010/10/5-3-12.jpg" alt="" width="100" /></a></p>
<p class="clearfix" style="margin-left: 120px;">「我々でやろうじゃないか。本番のトライアスロン大会に出場する２人の選手を励ます為に、我々、同好会がミニ大会を主催し、選手としても出場しよう。全く泳げない者は別として、それ以外の者は全員が出場する。参加しない者は、罰金として１万円を払うべし」長距離同好会のメンバーは皆、頷いた。否、頷かざるを得なかった。</p>
<p>　</p>
</div>
<p>　<br />
　　東急の田中清司の提案から始まった宮古島でのトライアスロン大会の開催は、琉球新報社を通じて宮古広域圏の行政サイドへと伝わり、1984年９月の段階では島内関係者を交え実施へ向けた協議が本格化していった。<br />
　それにしても、トライアスロン大会をどのように行えばよいのか？　否、そもそもトライアスロンとは何か？　それすら宮古島の人々には解らない。拠り所は、琉球新報社・宮古支局長の照屋　直が持参したハワイ大会のビデオ・テープ１本だけである。しかも、そのテープには当時の女性ナンバー・ワンのトライアスリートと称されるジュリー・モスがゴール寸前、倒れ伏し、四つん這いに這いつくばりながらフィニッシュした壮絶なゴールシーンが映されており、トライアスロンを初めて観る者には驚異と畏怖の念を与えるのに十分だった。</p>
<div id="attachment_4823" style="width: 310px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://www.tri-x.jp/wordpress/wp-content/uploads/2010/10/5-3-111.jpg"><img class="size-medium wp-image-4823" title="ジュリー・モスのゴールシーン" src="https://www.tri-x.jp/wordpress/wp-content/uploads/2010/10/5-3-111.jpg" alt="ジュリー・モスのゴールシーン" width="300" height="218" /></a><p class="wp-caption-text">ジュリー・モスのゴールシーン</p></div>
<p>　下地町の生活改善センターに集まった宮古郡体育協会（以下、宮古体協という）や宮古陸上競技協会の役員は、ビデオを観て言い放った。</p>
<p><span style="color: #ff6600;">「これを宮古でもやろうというのか？　余りにも過酷過ぎやしないか。無謀だ！　第一、経験のない我々に出来る筈がない」</span></p>
<p>　体協の役員の多くが疑問符を投げ掛けた。「自分たちには、とても出来ない」との意見がほとんどだった。何しろ初めて観るスポーツである。トライアスロンの３種目の競技のうちマラソンは理解できても、海で泳いで、それからまた自転車で走る等とは、彼らにとって想像にも及ばないスポーツだった。宮古体協の役員だけでなく、地元のライオンズクラブを始めとするボランティア団体の多くが、ハワイ大会のビデオを観て腰が退けてしまったのだ。<br />
　片や説明に回る側の照屋だって、実際にトライアスロンを観たわけではない。本社の真喜屋事業局長と嶋袋　浩企画局長の２人の命に従い、ひたすら宮古の関係者への説得、理解を求め続けた。その一方で嶋袋と宮古広域市町村圏協議会の長濱幸男事務局長は大会運営の具体的な方策を話し合い、実現への道をあれこれ模索していた。そのキーワードは“地域経済の活性化”である。沖縄本島に対し生活経済や産業面で後れをとる宮古島を浮上させるには、民間活力を積極的に導入しつつ、宮古島の自然風土や文化遺産を全国にアピールする必要を感じていた。言わば“島興し”である。<br />
　この“島興し”のプログラムをどのように進展させていくか？　琉球新報社と同協議会の話し合いは精力的に進められた。その結果、９月10日（月曜日）に宮古島の行政、競技団体、ボランティア団体の幹部らを集めて「トライアスロン競技説明会」を開くことになったのだ。そして、この説明会に招かれたのが、東急の田中を始め、２箇月後の11月にトライアスロンの全国的な競技組織として立ち上げる複合耐久種目全国連絡協議会の前身「トライアスロン複合種目連絡会」の主要メンバー達である。<br />
　メンバーは財団法人日本水泳連盟の松林　肇の他、日本人として初めてハワイのトライアスロンを制覇した永谷誠一とその娘の美加、それに日本を代表するトライアスリートの中山俊行である。同連絡会の一行は東京や熊本からそれぞれ宮古島へ入り、トライアスロンの専門家の立場から競技の普及、啓蒙を努める役割を担い赴いた。<br />
　競技説明会では、伊波会長の挨拶の後、田中からトライアスロンとは何か？　といった説明と宮古島での大会開催の意義が提唱された。次いで説明で立ち上がった松林は、それまでの現地ロケを踏まえ、次のような趣旨を述べた。</p>
<p><span style="color: #0000ff;">「与那覇前浜での水泳は安全対策を施すことによって可能だし、自転車もマラソンも問題無く行うことが出来ると思います。総じて宮古島でのロケーションは最適で、トライアスロンの実施に問題はないと考えています」</span></p>
<p> </p>
<div id="attachment_4840" style="width: 310px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://www.tri-x.jp/wordpress/wp-content/uploads/2010/10/5-3-2-31.jpg"><img class="size-medium wp-image-4840" title="東平安崎へ向かうバイク・コースとマラソン・コースの折り返し点" src="https://www.tri-x.jp/wordpress/wp-content/uploads/2010/10/5-3-2-31.jpg" alt="東平安崎へ向かうバイク・コースとマラソン・コースの折り返し点" width="300" height="157" /></a><p class="wp-caption-text">東平安崎へ向かうバイク・コースとマラソン・コースの折り返し点</p></div>
<p>　こうした外部からの意見を踏まえ、琉球新報社からはトライアスロン大会の開催について「共催する」旨の趣旨説明が行われた。さらに同競技説明会の翌日、琉球新報社の真喜屋と嶋袋は伊波会長に対し、ハワイで行われているトライアスロン大会の視察調査を提案したのである。</p>
<p><span style="color: #893274;">「百聞は一見に如かず、です。実際にハワイの大会を見に行きましょう。そのハワイの大会が丁度、来月に行われます」</span></p>
<p>　その結果、９月中には20数名の視察団が結成され、10月２日～10日の９日間、一行はハワイへと向かったのである。視察団の団長には嶋袋が務め、以下、団員に関係市町村の首長と市議会議員、広域圏協議会の長濱事務局長、それに大会競技運営を掌る宮古体協の豊岡静致会長、宮国　猛理事長等、全部で20名余の規模に及んだ。<br />
　ハワイの視察は、10月7日の大会本番の模様を観戦した他、競技運営のあり方や競技規則等についても現地・ボランティア役員から説明を受ける等、トライアスロンの基本を学ぶ機会を得た。また、大会が開かれるハワイ島の環境、その諸条件が宮古島と多いに似通っていることも知り、視察団一行は意を強くした。<br />
　すなわち、溶岩と牧草地で占められるハワイ島の主産業はサトウキビである。それと、観光産業を育てようとする施策が次々と打ち出されている。この二つの点で宮古島とハワイ島は一致するとの認識が持てた。また、エリート競技者だけではなく高齢者や女性等の一般アスリート達も、ペースさえ守れば安全に完走できるという点も確認することが出来た。実際に自分たちがトライアスロン大会を開催、運営するとなれば多くの疑問や問題点、或いは障害もあろうけど、一行の多くの者が帰国後、「やってやれない訳ではない」、自ら「このニュースポーツ・イベントを手掛けてみたい」気持が生まれていた。</p>
<div id="attachment_4828" style="width: 310px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://www.tri-x.jp/wordpress/wp-content/uploads/2010/10/5-3-41.jpg"><img class="size-medium wp-image-4828" title="視察団が目の当たりに見たアイアンマン・レース" src="https://www.tri-x.jp/wordpress/wp-content/uploads/2010/10/5-3-41.jpg" alt="視察団が目の当たりに見たアイアンマン・レース" width="300" height="197" /></a><p class="wp-caption-text">視察団が目の当たりに見たアイアンマン・レース</p></div>
<p>《次回予告》<br />
トライアスロン大会開催に向け「大会実行委員会」を立ち上げていく模様を、宮古体協の会長だった豊岡静致氏を中心に、その活動を描きます。また＜トライアスロン談義＞では、第１回大会の記録部長を務めた池村盛良氏と連絡通信部長の狩俣寛次氏の談話を掲載します。</p>
<blockquote><p>※この物語は歴史的事実を踏まえながらも、ストーリー性を加味させるため、若干の脚色をほどこしています。しかし、事実を歪曲したり、虚偽を記すことはありません。また、個人名はすべて敬称を省略しています。</p></blockquote>
<p>　</p>
<p> </p>
<h2 class="mceTemp">＜トライアスロン談義＞宮古島はトライアスロンの最適な地　【松林　肇】</h2>
<p>　私が宮古島でトライアスロン大会開催の為の現地ロケを始めたのは1983年の頃でした。宮古島でリゾートホテルの事業を始める東急グループの依頼に基づき、（財）日水連・古橋廣之進会長（故人）の命を受け私が派遣されたのです。その主な任務は、現地・海域でのトライアスロン・スイム競技の可能性について実地調査を行うことでした。現地・海域とは、宮古島・東急リゾートの南側前面の与那覇前浜ビーチと、対岸の来間（くりま）島との間に広がるエメラルドグリーンの海です。<br />
　潮の流れはどうか？　その海で数百名の選手を泳がせることが出来るかどうか？　コースをどう取るか？　泳ぎ終わって、次のバイクに移動するコース誘導を、どのように行うか？　そして何よりも、選手の安全を確保する為の競技運営のあり方と、その為の設備機器類をどのように配置するべきか？　等々、その方策を検討しなければなりません。</p>
<div id="attachment_4829" style="width: 310px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://www.tri-x.jp/wordpress/wp-content/uploads/2010/10/5-3-51.jpg"><img class="size-medium wp-image-4829" title="対岸の栗間島より眺める与那覇前浜ビーチと宮古島・東急リゾート" src="https://www.tri-x.jp/wordpress/wp-content/uploads/2010/10/5-3-51.jpg" alt="対岸の栗間島より眺める与那覇前浜ビーチと宮古島・東急リゾート" width="300" height="225" /></a><p class="wp-caption-text">対岸の栗間島より眺める与那覇前浜ビーチと宮古島・東急リゾート</p></div>
<p>　それで宮古島へは、トライアスロン大会開催の構想を提案した東急の田中清司さんに同行したりして、全部で10回ほどロケを行いました。しかし、当時は東京から宮古島への直行便がなかった為、すべて本島の那覇市を経由する３泊４日の強行スケジュールでした。金曜日の仕事が終わるとその夜、私は羽田を発って那覇へ飛び、那覇に宿泊して翌土曜日の朝に宮古島に入って丸２日間、打ち合わせや現地調査を行い、翌日曜日の夜に再び那覇で泊まり、月曜の朝一番で羽田へ戻るのです。<br />
　そんな現地ロケを重ねた結果、スイムはスタートしてから２つのコーナーを回る三角形３Kmのコース案をまとめました。しかし、田中さんはやるからにはハワイ・アイアンマン大会のようなフル・トライアスロンを強く希望しています。ですから、スイムの距離をもっと長く、バイクの距離も180Kmのコース取りを希望していました。ただランは、83年に陸連公認のマラソン・コースが認められていたので、42.195Kmのフル・マラソンは可能です。</p>
<p>　こうして実地調査や様々な検討を踏まえ、宮古島でのトライアスロン大会の実施に一応の目処が付いたのですが、いざやるとなると東急リゾートが建つ地元の下地町を始めとした住民の方々は、なかなか首を縦に振りません。開催に疑心暗鬼なのでしょうか？　それに開催するとなれば、例えばスイム会場に関して言えば、ビーチの使用を建設省、海の使用は海上保安庁と運輸省、それに地元漁協組合等の許可を得なければがならないし、宮古島全島を回るバイク・コースとなれば、当然のことながら警察の道路使用許可を得る必要がありますが、それも東急という一民間企業の力ではかなり難しいのも事実です。<br />
　しかし、琉球新報社が参画して宮古島の人々との橋渡し役を担い、1984年９月に「競技説明会」を行うことになったのです。この説明会は琉球新報社の要請を受け宮古広域市町村圏協議会が主催して行われたもので、トライアスロン大会開催を前提に現地の行政組織を始め警察、消防、体育協会、青年並びに婦人のボランティア団体等、多くの方々が集まりました。<br />
　但し、この時点で大会開催が是認されていた訳ではありません。あくまでトライアスロン大会の開催を提案、協議する場で、実施の為の検討の場ではありません。でも私は、地元の皆さんに次のように申し上げました。</p>
<p><span style="color: #0000ff;">「宮古島はトライアスロンのロケーションとして最適な地です」</span></p>
<p>　それからというもの、現地でのトライアスロン大会開催の機運は盛り上がり、翌年の85年４月に本番を迎えることになりました。その間、コース選定で地元関係者の方々と意見が分かれることが何度かありましたが、最終的に皆が心を一つとなって第1回大会の開催へと漕ぎ着けたのです。そして大会後の打ち上げ会では、意見が対立した地元の方々ともしっかり手を握り合い、大会の成功を喜び合いました。</p>
<div id="attachment_4830" style="width: 310px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://www.tri-x.jp/wordpress/wp-content/uploads/2010/10/5-3-61.jpg"><img class="size-medium wp-image-4830" title="松林　肇氏近影（東京・砧の日本大学商学部正門前にて、10年４月撮影）" src="https://www.tri-x.jp/wordpress/wp-content/uploads/2010/10/5-3-61.jpg" alt="松林　肇氏近影（東京・砧の日本大学商学部正門前にて、10年４月撮影）" width="300" height="225" /></a><p class="wp-caption-text">松林　肇氏近影（東京・砧の日本大学商学部正門前にて、10年４月撮影）</p></div>
<p><strong>【松林　肇氏プロフィール】</strong><br />
1955年、大阪府生まれ。日本大学文理学部を卒業。同大学職員として勤務する傍ら、（財）日本水泳連盟の競泳委員、強化統括コーチとして後進の指導に当たる。トライアスロンでは宮古島大会を始め玄海、波崎、広島、名古屋市開港記念、インカレ浜松の大会等において、競技の普及・指導活動に携わる。最近では北京大会からオリンピック種目となったオープン・ウォーター・スイミングの競技役員としても活躍する。</p>
</div>
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		</item>
		<item>
		<title>Vol.41：火神の巻　第５章その2：三者の思惑が一致した</title>
		<link>https://www.tri-x.jp/3708</link>
		<comments>https://www.tri-x.jp/3708#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 02 Jun 2010 05:26:27 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[tri-x_admin]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[日本トライアスロン物語]]></category>
		<category><![CDATA[ワイドー・ワイド]]></category>
		<category><![CDATA[宮古島]]></category>
		<category><![CDATA[東急リゾート]]></category>
		<category><![CDATA[琉球新報社]]></category>

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		<description><![CDATA[<img src="https://www.tri-x.jp/article/wp-content/uploads/2010/06/5-2-61-100x100.jpg"="0" alt="" class="fl bdr" />その為に宮古人（みゃーく）が一致団結し協力し合うこと、そして住民エネルギーを結集すると共に、住民の人材や資源を活用して組織づくり、基盤づくり、モノづくりを促進させようということになった。また、キャッチフレーズを住民から公募して、『ワイドー・ワイド』の標語も作った。]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<div id="mainColumn">
<h2 class="w_02">日本トライアスロン物語</h2>
<blockquote style="background-color: #f9f9f9; border: solid 1px #ccc;"><p>※この物語は歴史的事実を踏まえながらも、ストーリー性を加味させる為、若干の脚色を施しています。しかし、事実を歪曲したり、虚偽を記すことはありません。また、個人名はすべて敬称を省略しています。</p></blockquote>
<p class="top_cap" style="font-size: 0.9em; color: #848484; margin-bottom: 7px; font-weight: bold;">火神の巻 第５章その2</p>
<h3>三者の思惑が一致したい</h3>
<div class="bassui" style="background-color: #f6f6f6; padding: 8px 10px; margin-bottom: 30px;"><strong>【この記事の要点】</strong><br />
<a href="https://www.tri-x.jp/wordpress/wp-content/uploads/2010/06/5-2-61.jpg" target="_self" rel="lightbox"><img class="fl bdr" style="border: solid 1px #ccc; padding: 4px; float: left;" src="https://www.tri-x.jp/wordpress/wp-content/uploads/2010/06/5-2-61.jpg" alt="" width="100" /></a></p>
<p class="clearfix" style="margin-left: 120px;">その為に宮古人（みゃーく）が一致団結し協力し合うこと、そして住民エネルギーを結集すると共に、住民の人材や資源を活用して組織づくり、基盤づくり、モノづくりを促進させようということになった。また、キャッチフレーズを住民から公募して、『ワイドー・ワイド』の標語も作った。</p>
</div>
<p>　<br />
琉球新報社の伊豆見元一社長の命を受けた真喜屋事業局長と嶋袋　浩企画局長の２人は、それぞれの役目を担い、宮古島でのトライアスロン開催に向け交渉を開始した。そしてまず、この２人の局長の先鋒を切って宮古６市町村の行政関係者に対しアプローチを開始したのが、宮古支局長の照屋　直である。昨夜、宮古有線テレビの砂川典昭社長と共に真喜屋と嶋袋から聞いたばかりのホットな話を、今日は６市町村で構成する宮古広域市町村圏協議会（会長＝伊波幸夫平良市市長）の市町村長会議の場において紹介をした。</p>
<p><span style="color: #808000;">「ハワイでは水泳、自転車、マラソンの３種目を連続して行うトライアスロン大会が行われ、大変な人気だそうです。それを、この宮古でもやってみてはどうでしょうか？　もちろん、私共、琉球新報も応援します」</span></p>
<p>　この照屋の話に、多くの市町村長は首を傾げた。</p>
<p><span style="color: #3366ff;">「そんなこと、我々に出来るだろうか？　第一、余りにも危険なスポーツのようだし…」</span></p>
<p>　そんな中、同協議会の副会長であり城辺（ぐすくべ）町長の森田武雄は、会議テーブルにやや身を乗り出しながら、こう言い放った。</p>
<p><span style="color: #ff6600;">「これは面白い！　宮古の地域活性化の為に、是非やろうじゃないか」</span></p>
<p>　森田の発言を受け、そもそもイベント好きな同協議会会長の伊波（いは）も同調した。</p>
<p><span style="color: #800080;">「前向きに考えましょう。宮古を売り出す好いチャンスかもしれない」</span></p>
<div id="attachment_3709" style="width: 210px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://www.tri-x.jp/wordpress/wp-content/uploads/2010/06/5-2-1.jpg"><img class="size-medium wp-image-3709" title="伊波平良市長兼宮古広域市町村圏協議会会長" src="https://www.tri-x.jp/wordpress/wp-content/uploads/2010/06/5-2-1.jpg" alt="伊波平良市長兼宮古広域市町村圏協議会会長" width="100" height="120" /></a><p class="wp-caption-text">伊波平良市長兼宮古広域市町村圏協議会会長</p></div>
<p>　この日の市町村長会議で結論は出されなかったものの、市議会を始め地元・体育協会や警察、消防など宮古諸島の関係機関に対し打診することになった。この為、照屋は東急の田中清司から預かったハワイ・アイアンマン・レースのビデオ・テープ１本を持ち歩き、地元関係者に対し宮古島でのトライアスロン開催について説明、説得を始めた。照屋は本来の業務である取材業務をそっちのけで、島中を走り回ったのである。</p>
<p>　一方、市町村長会議の意向を受け、当時、平良市役所から派遣され同協議会の事務局長の任務に就いていた長濱幸男は、トライアスロン開催に関わる諸課題について琉球新報社の嶋袋局長と具体的な協議、検討に入った。トライアスロン大会開催の意義、その行政的な位置付け、開催スケジュールの策定、関係機関並びに団体への協力要請の方途等、様々な問題について話し合い、大会開催の可能性と方向付けを探った。</p>
<p><span style="color: #008000;">「一過性の地方レベルのイベントではなく、全県的な、否、日本全体にとって意義あるスポーツ大会にしたいですね」</span></p>
<p>　嶋袋は、やるからには日本を代表するトライアスロン大会にしたい旨を強調した。これに対し長濱は、</p>
<p><span style="color: #ff9900;">「今、私達が取り組んでいる地域興しの核となる催しにしなければなりません」</span></p>
<p>　そして、新しいスポーツ大会を全国的なレベルで開催することによって、東急の「宮古島・東急リゾート」の集客効果、琉球新報社が「沖縄県高校駅伝大会」に次いでスポーツ・イベントを開催することによる宮古諸島での紙面拡充、それに宮古広域圏の地域経済活性化の為の起爆剤、これら三者三様の狙い並びに成果が得られるであろうことを確認した。特に、受入側の宮古広域圏が最大の課題としていた“地域経済の活性化”が、トライアスロンというニュー・スポーツを導入することによって大きく前進するのではないかとの期待が、現地の関係者達の間で高まったのは事実だ。</p>
<div id="attachment_3712" style="width: 310px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://www.tri-x.jp/wordpress/wp-content/uploads/2010/06/5-2-2.jpg"><img class="size-medium wp-image-3712" title="宮古諸島の各種データ" src="https://www.tri-x.jp/wordpress/wp-content/uploads/2010/06/5-2-2.jpg" alt="宮古諸島の各種データ" width="300" height="135" /></a><p class="wp-caption-text">宮古諸島の各種データ</p></div>
<p>　それというのも、宮古広域圏の人口は当時、約６万3,000人、その多くが主要産業である農漁業に従事しているが、毎年、繰り返し襲ってくる台風や干ばつで多大なダメージを受けている。また長い間、アメリカの軍事的支配下に置かれてきた為に他の産業は立ち遅れており、経済的には公共工事で辛うじて息を繋いでいるのが実状だった。それ故、住民所得は沖縄県内で最も低く、離島という後発のハンデを如何に乗り越えていくかが、行政としてもまた医師会など圏域有識者の間でも大きな命題となっていたのである。そこで、1983年に自治省（現総務省）から地域活性化対策の地域指定を受けたのを機に、地場産業・観光・商業の振興を柱とした経済活性化の取り組みを始めたのである。</p>
<p>　その為に宮古人（みゃーく）が一致団結し協力し合うこと、そして住民エネルギーを結集すると共に、住民の人材や資源を活用して組織づくり、基盤づくり、モノづくりを促進させようということになった。また、キャッチフレーズを住民から公募して、『ワイドー・ワイド』の標語も作った。<br />
　この『ワイドー・ワイド』をキャッチフレーズにした経済活性化の運動は、マスコットやワッペン、ポスター等によるムードづくから始まり、域内における資源調査や観光シンポジウム・物産展の開催等が展開されてきた。そこへ琉球新報社よりトライアスロン大会開催の話が持ち込まれ、経済活性化の旗手として『ワイドー・ワイド』運動と連携したイベント・プロモーションが始まったのだ。その第一弾として琉球新報社から提案されたのが９月開催の「トライアスロン競技説明会」であり、次いで10月の「ハワイ・トライアスロン大会の視察」であった。</p>
<div id="attachment_3713" style="width: 310px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://www.tri-x.jp/wordpress/wp-content/uploads/2010/06/5-2-3.jpg"><img class="size-medium wp-image-3713" title="地域活性化のマスコット“ワイドーマン" src="https://www.tri-x.jp/wordpress/wp-content/uploads/2010/06/5-2-3.jpg" alt="地域活性化のマスコット“ワイドーマン" width="300" height="240" /></a><p class="wp-caption-text">地域活性化のマスコット“ワイドーマン</p></div>
<p>《次回予告》<br />
<span style="color: #993300;">宮古諸島の６市町村がトライアスロン大会開催の為に、地元関係者に対して行った競技説明会や本場ハワイ大会への視察旅行等、大会開催への歩みを辿る。また＜トライアスロン談義＞では、トライアスロンに関する日本の中央競技団体の前身であった複合耐久種目全国連絡協議会の命を受け、宮古島への現地ロケに何度も足を運んだ元（財団法人）日本水泳連盟・強化総括コーチの松林　肇氏に、当時の思い出を語って戴く。</span></p>
<blockquote><p>※この物語は歴史的事実を踏まえながらも、ストーリー性を加味させるため、若干の脚色をほどこしています。しかし、事実を歪曲したり、虚偽を記すことはありません。また、個人名はすべて敬称を省略しています。</p></blockquote>
<p>　</p>
<p> </p>
<h2 class="mceTemp">＜トライアスロン談義＞ワイドー・ワイドで地域活性化　【長濱幸男】</h2>
<p>　私が生まれ育った宮古島は、沖縄本島（那覇市）から南西約300Km、東京から約2,000Kmに位置する沖縄県では４番目に大きな島です。島全体は概ね平坦の低い台地状を形成し、一番高い処でも約113m（ンキャフス嶺、ナカオ嶺）、故に河川や湖沼も無く、生活用水等は地下水に頼っています。そして、この宮古島を始め伊良部島、多良間島、下地島、来間島、池間島、水納島、大神島といった大小８つの有人島によって構成された宮古諸島は、珊瑚石灰岩の地層が隆起して出来た為、土壌は保水力に乏しく痩せており、その上、干ばつや台風の災害に毎年、交互に見舞われる等、島民の生活は決して豊かとは言えません。<br />
　本土や沖縄本島と比べ交通・情報、生活環境、保険・医療、教育・福祉のあらゆる面で立ち遅れている現状を、どう打開すればよいか！　そこで、宮古諸島の１市３町２村（平良市、城辺町、下地町、伊良部町、上野村、多良間村）は1979年３月、宮古広域市町村圏協議会を結成し、「調和のとれた人間居住の総合的環境の形成」を図る為、電算並びに清掃センターや消防等の広域サービス・システムの整備に乗り出しました。さらに1983年には、産業経済の振興による新たな宮古圏域を創造する為に、自治省（当時）から地域経済活性化対策の地域指定を受けました。</p>
<p>　そこで活性化計画に地場産業と観光、商業の振興を図ることを３つの柱として位置付け、その為の４つの心掛け（姿勢）を全面に打ち出しました。第一は「皆で協力し合うこと」、第二は「手順を踏むこと」、第三は「住民のエネルギーを結集すること」、第四は「宮古の人材資源を活用すること」です。また、平地性、海洋性、離島性、住民性という宮古の特性を、逆転の発想で活性化戦略に取り込んでいこうということから、“スポーツ・アイランド宮古”構想が持ち上がっていたのです。<br />
　一方、これら諸課題と取り組んでいくキャッチフレーズ（活性化標語）として『ワイドー・ワイド』が、住民の公募によって決りました。これは宮古の方言である「ワイドー・ワイ＝一生懸命頑張れよ」と、英語の「ワイド＝幅広い」を重ね合せたもので、宮古の幅広い層の人々が連帯して産業起こし、地域活性化の為に頑張ろうという意味です。この『ワイドー・ワイド』の取り組みが、進取の気性に富む宮古人の心を捉えました。</p>
<div id="attachment_3717" style="width: 266px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://www.tri-x.jp/wordpress/wp-content/uploads/2010/06/5-2-41.jpg"><img class="size-medium wp-image-3717" title="長濱氏" src="https://www.tri-x.jp/wordpress/wp-content/uploads/2010/06/5-2-41.jpg" alt="事務局長を退任し、88年10月に『琉球新報』に記事掲載された長濱氏（長濱氏編纂；地域活性化への試みより記事抜粋）" width="256" height="300" /></a><p class="wp-caption-text">事務局長を退任し、88年10月に『琉球新報』に記事掲載された長濱氏（長濱氏編纂；地域活性化への試みより記事抜粋）</p></div>
<p>　こうした宮古広域圏の地域経済活性化対策を推進する過程で、琉球新報社より持ち込まれたのがトライアスロン大会開催の提案でした。『ワイドー・ワイド』の運動が展開される中、ハワイ島で行われていたアイアンマンと称するトライアスロンのビデオ・テープを見せられたのです。折りしも、宮古広域市町村圏協議会の活性化部会では海洋性スポーツ施設の整備とか各種イベントの開催等の検討がなされていましたし、その年の４月には東急リゾートがオープンし観光客の誘致が期待されていました。また、琉球新報社は83年11月に（財団法人）日本陸上競技連盟による公認マラソン・コースを使って主催した県の高校駅伝大会が大成功を収めたこともあって、宮古でのスポーツ・イベントの開催を目論んでいました。<br />
　このような宮古広域圏の地域経済活性化、東急リゾートの集客アップ戦略、琉球新報社の宮古への本格進出といった三者三様の思惑が、期せずして一致したのです。さらには、後の話になりますが、NHKが宮古島でのトライアスロン大会の放送に踏み切った理由は、離島に対する放送の格差是正と衛星を使った実験放送の試みという課題を克服したかったからであり、JAL（株式会社日本航空）がメイン・スポンサーになってくれたのも、東京からの直行便を就航する狙いもあったとからだと思います。</p>
<p>　このような多くの企業や関係者、そして地元住民が誠心誠意、トライアスロン大会の開催に向けて心を一つにして協力して戴いたからこそ、記念すべき第１回大会が無事、行われ、以来、今年の第26回まで続けてこられたと思います。また、その原動力となったのが『ワイドー・ワイド』の取り組みだったと確信しております。そして天地人（タイミングのよさ、地の利、人の和）を味方にしたことも、大事なことだったとつくづく感じています。</p>
<div id="attachment_3718" style="width: 310px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://www.tri-x.jp/wordpress/wp-content/uploads/2010/06/5-2-51.jpg"><img class="size-medium wp-image-3718" title="長濱幸男氏近影" src="https://www.tri-x.jp/wordpress/wp-content/uploads/2010/06/5-2-51.jpg" alt="長濱幸男氏近影（平良市の自宅にて、10年２月撮影）" width="300" height="225" /></a><p class="wp-caption-text">長濱幸男氏近影（平良市の自宅にて、10年２月撮影）</p></div>
<p>【長濱幸男氏プロフィール】<br />
<span style="color: #f89648;">1946年、平良市出身。琉球大学農学部畜産学科を卒業後、自営農業に携わる。73年平良市役所に入所し農林水産課に勤務。畜産係長、商工観光課係長、企画室調整官並びに宮古広域市町村圏協議会・事務職員を兼務し、84年に宮古島トライアスロン実行委員会事務局長に就任。以後、第４回大会まで務める。95年企画室長兼宮古島トライアスロン実行委員会平良支部事務局長兼務、99年経済部長、02年建設部長05年教育部長、07年定年退職。宮古島トライアスロン実行委員会スーパーバイザー。</span>
</div>
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		</item>
		<item>
		<title>Vol.40：火神の巻　第５章その1：美ぎ島に華咲くトライアスロン</title>
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		<pubDate>Wed, 31 Mar 2010 16:32:17 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[tri-x_admin]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[日本トライアスロン物語]]></category>
		<category><![CDATA[ストロングマン]]></category>
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		<category><![CDATA[東急リゾート]]></category>
		<category><![CDATA[琉球新報社]]></category>

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		<description><![CDATA[<img src="https://www.tri-x.jp/article/wp-content/uploads/2010/03/e784a1e9a18c-100x100.jpg"="0" alt="" class="fl bdr" />この南海の美ぎ島（かぎすま＝宮古諸島の方言）で初めて開かれたトライアスロン大会は、NHKの電波によって夜の11時まで、日本全国に放映され、トライアスロン・スポーツと宮古島の存在を知らしめたのである。その名も、「ストロングマン　全日本トライアスロン宮古島大会」である。]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<div id="mainColumn">
<h2 class="w_02">日本トライアスロン物語</h2>
<blockquote style="background-color: #f9f9f9; border: solid 1px #ccc;"><p>※この物語は歴史的事実を踏まえながらも、ストーリー性を加味させる為、若干の脚色を施しています。しかし、事実を歪曲したり、虚偽を記すことはありません。また、個人名はすべて敬称を省略しています。</p></blockquote>
<p class="top_cap" style="font-size: 0.9em; color: #848484; margin-bottom: 7px; font-weight: bold;">火神の巻 第５章その1</p>
<h3>美ぎ島に華咲くトライアスロン</h3>
<div class="bassui" style="background-color: #f6f6f6; padding: 8px 10px; margin-bottom: 30px;"><strong>【この記事の要点】</strong><br />
<a href="https://www.tri-x.jp/wordpress/wp-content/uploads/2010/04/e784a1e9a18c-100x100.jpg" target="_self" rel="lightbox"><img class="fl bdr" style="border: solid 1px #ccc; padding: 4px; float: left;" src="https://www.tri-x.jp/wordpress/wp-content/uploads/2010/04/e784a1e9a18c-100x100.jpg" alt="" width="100" /></a></p>
<p class="clearfix" style="margin-left: 120px;">この南海の美ぎ島（かぎすま＝宮古諸島の方言）で初めて開かれたトライアスロン大会は、NHKの電波によって夜の11時まで、日本全国に放映され、トライアスロン・スポーツと宮古島の存在を知らしめたのである。その名も、「ストロングマン　全日本トライアスロン宮古島大会」である。</p>
</div>
<p>沖縄本島・那覇市から南西約300㎞の南海に浮かぶ宮古島で、トライアスロン大会が開催されたのは今から25年前、1985年４月28日のことである。しかし、この宮古島でのロング・ディスタンス・タイプのトライアスロン大会が国内外から選手を集め、皆生トライアスロン大会に次ぐメジャーな大会として行われたことを知る者は、ごく少数であった。否、それよりも何も、トライアスロンとは一体どんなスポーツなのか？　或いは宮古島が日本の何処に浮かぶ島なのか？　それすら知らない者が多かった筈だ。それを知らしめたのが、このトライアスロン競技の模様をほぼ丸一日中、衛星放送を使って初めて全国に放映したNHKテレビだった。<br />
朝６時48分30秒、衛星放送の電波によって映し出されたのは、エメラルド・グリーンに染まった与那覇前浜ビーチの景色である。ビーチから広がる海上には小波が囁き、その揺らぎの下には真っ白な砂に敷き詰められた海底が透けて見えた。放送の声は、やがてこのビーチから241名の選手が泳ぎ出し、泳ぎ終えたなら自転車に乗って島内をほぼ一周した後、マラソンを行うトライアスロンを演じるのだと説明した。</p>
<p><span style="color: #ff8230;">「トライアスロン」　それは何？</span></p>
<p><span style="color: #9b74c1;">「宮古島」　それは何処？</span></p>
<p>朝のニュースを見ようとテレビのスイッチを入れたばかりの家庭の茶の間から、そんな声と共に、余りにも美しい海の色と景色に感嘆の声が漏れた。これまで日本では鳥取県の皆生温泉で始まった「皆生トライアスロン大会」や石川県小松市で登山競技を加えた「小松トライアスロン大会」等が開催されているが、いずれもメディアの報道は当該地域に限られていた。しかし、この南海の美ぎ島（かぎすま＝宮古諸島の方言）で初めて開かれたトライアスロン大会は、NHKの電波によって夜の11時まで、日本全国に放映され、トライアスロン・スポーツと宮古島の存在を知らしめたのである。その名も、「ストロングマン　全日本トライアスロン宮古島大会」である。</p>
<p><a href="https://www.tri-x.jp/wordpress/wp-content/uploads/2010/04/324631a4065426b13a85228ee9e54cca.jpg"><img class=" size-full wp-image-19160 aligncenter" src="https://www.tri-x.jp/wordpress/wp-content/uploads/2010/04/324631a4065426b13a85228ee9e54cca.jpg" alt="日本トライアスロン物語" width="300" height="225" /></a></p>
<p>トライアスロンのスイム・スタート会場となった与那覇前浜は、東西に４～５Kmの白い砂浜が続く東洋一のビーチと称されている。そして、このビーチの一角に建てられたのが、東京・渋谷に本社を置く東京急行電鉄株式会社（以下、東急と呼ぶ）が開発した高級リゾート・ホテル「宮古島　東急リゾート」である。<br />
実は当初、宮古島トライアスロン大会は、このリゾート・ホテルを売り出そうとする東急が仕掛けた宮古島への集客誘致の一環として企画されたのである。その仕掛け人とも言うべき者が、元東急イン事業部・販売促進課長（当時）の田中清司であった。<br />
だが、田中の企画は、現地へはそう簡単に受け入られなかった。田中は息詰まった末、早稲田大学競走部の先輩、沖縄テレビ放送株式会社・福永俊郎専務の紹介を得て、琉球新報社の伊豆見元一社長に相談を持ち掛けた。しかし、伊豆見は会議の最中だったこともあって詳しい話は事業局長の真喜屋　明とするよう促した。でも、伊豆見はその時、<span style="color: #1c7d0c;">「飛んでもない話だ。そんな危険極まりないスポーツをやるなんて…」</span></p>
<p>との思いを抱いた。だから、真喜屋に取り次いだものの、</p>
<p><span style="color: #1c7d0c;">「今そちらに東急の田中という者が行くけれど、話を聞くだけにして断われ」</span></p>
<p>と、電話で指示した。ところが真喜屋は、田中の説明を聞くうちに、ふつふつとトライアスロンに対する興味と関心が湧いてきたのだ。新聞社の事業ビジネスを掌る真喜屋としては、伊豆見社長の意向とは反対に開催への検討を試みてもよいのではないか、と思った。</p>
<div id="attachment_3312" style="width: 310px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://www.tri-x.jp/wordpress/wp-content/uploads/2010/04/e79c9fe5969ce5b18be38080e6988ee6b08f1.jpg"><img class="size-medium wp-image-3312" title="真喜屋　明氏" src="https://www.tri-x.jp/wordpress/wp-content/uploads/2010/04/e79c9fe5969ce5b18be38080e6988ee6b08f1.jpg" alt="真喜屋　明氏近影（10年２月、琉球新報社本社前で撮影）" width="300" height="225" /></a><p class="wp-caption-text">真喜屋　明氏近影（10年２月、琉球新報社本社前で撮影）</p></div>
<p><span style="color: #86b300;">「トライアスロンはリッチなスポーツですが、今や世界的なブームを巻き起こしており、ゆくゆくはオリンピック種目になると思います」</span></p>
<p>トライアスロンの意義や将来を語る田中に対し、真喜屋は、</p>
<p><span style="color: #660066;">「確かにトライアスロンは肉体を酷使し、生命の危険に晒される危ない競技だけれど、豊かで平和なこれからの時代にマッチするスポーツになるかも知れない。新聞社の新事業として取り組み、先駆的な役割を果たしていく意味は大きい」</span></p>
<p>と思った。そして、</p>
<p><span style="color: #86b300;">「トライアスロンをやるには、まずは奇麗な海があれば最高ですね。次に起伏が少ない平坦な地形、最後に交通を一切、遮断して、一日中トライアスロンを楽しめる場所が求められます。そのような条件を満たしてくれるのは、沖縄の離島、それも小さな島ではなく、フル・マラソンのコースが取れるロケーションが必要です」</span></p>
<p>と言う田中に、真喜屋は思わず頷いた。</p>
<p><span style="color: #660066;">「ならば宮古島だね」</span></p>
<p>真喜屋は田中の術中に嵌まったかもしれないと思ったが、でも、それを善しとした。ニュー・スポーツと注目されているトライアスロンを、自分達の手によって開催してみたい思いが心の中で走った。ただ「田中の話は断われ」と伊豆見社長の言葉は、頭の片鱗に残っている。真喜屋は田中にこう言った。</p>
<p><span style="color: #660066;">「明日、宮古島有線テレビ株式会社（現・宮古テレビ株式会社）へ弊社のニュースを提供する旨の契約調印式があって、私と企画局長の嶋袋　浩が宮古島へ出張します。ですので、そのハワイ大会のビデオを持参して、現地の方に見てもらいましょう」</span></p>
<p>翌日、琉球新報社の２人は、那覇から宮古島へと飛んだ。そして宮古島有線テレビ㈱との契約調印が終わった後、同社社長の砂川典昭と琉球新報社宮古支局長の照屋　直との会食の場で、トライアスロンの話になった。話を聞いていた砂川は、しばらくして、</p>
<p><span style="color: #85850a;">「それは面白いですね。観光資源が乏しい宮古島をトライアスロンで売り出せば、島の活性化にも繋がりますから、是非やりましょう。宮古島をスポーツ・アイランドとしてアピールしましょう」</span></p>
<p>砂川と呼吸を合せるように照屋も、</p>
<p><span style="color: #0000ff;">「そのビデオを貸してください。丁度、明日に各市町村長が集まる会議がありますので、その時にトライアスロンを紹介しましょう」</span></p>
<p>こうして宮古島でのトライアスロンの構想は、まるで電波の波動のように田中から琉球新報社を通じ現地へと伝わっていったのである。</p>
<div id="attachment_3314" style="width: 310px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://www.tri-x.jp/wordpress/wp-content/uploads/2010/04/e5aeaee58fa4e38386e383ace38393.jpg"><img class="size-medium wp-image-3314" title="宮古テレビ㈱" src="https://www.tri-x.jp/wordpress/wp-content/uploads/2010/04/e5aeaee58fa4e38386e383ace38393.jpg" alt="トライアスロン・ゴール地点に本社を置く宮古テレビ㈱" width="300" height="225" /></a><p class="wp-caption-text">トライアスロン・ゴール地点に本社を置く宮古テレビ㈱</p></div>
<p>ところで、トライアスロン大会の開催が次第に現実味を帯び始めるにつけ、真喜屋にとって何よりも気掛かりなことが一つ残っていた。それは伊豆見社長の意向である。思えば、田中に会う直前、デスクの電話にかかってきた伊豆見の声の調子は、「田中の話は、危ないから断わるよう」強いものだった。しかし、その社長の意向に逆らって今、真喜屋が選択したことは「トライアスロンを宮古島で開催する」ことである。話せば反対するに決っている。否、それどころか、社長の意向に背いたとなれば、自身の進退問題にも及ぶ。真喜屋は改めて苦悶した。だが一方で、伊豆見社長を説得する目算がない訳ではなかった。<br />
それは、昨年11月に琉球新報社の主催事業として、宮古島で初めて「高校駅伝大会」を開催した際、大会会長車に乗って先頭を走った伊豆見は、コース沿道に鐘や太鼓を打ち鳴らし“クイチャー”を踊って応援する熱狂的な島の人々の姿を目の当たりにし、いたく感動したことがある。それで翌日、伊豆見は真喜屋を社長室に呼ぶと、</p>
<p><span style="color: #1c7d0c;">「真喜屋君、宮古は燃える島だね。島の人達の素晴らしい応援で、大変、盛り上がったよ。感動した。高校駅伝であんなに喜ぶのだから、他にもスポーツ・イベントをやれば、きっと喜んでくれるに違いない。君、宮古の皆さんの熱意に応えるよう、全県的なレベルのイベントを考えなさい。これは宿題だ」</span></p>
<div id="attachment_3315" style="width: 310px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://www.tri-x.jp/wordpress/wp-content/uploads/2010/04/e382afe382a4e38381e383a3e383bc.jpg"><img class="size-medium wp-image-3315" title="クイチャー" src="https://www.tri-x.jp/wordpress/wp-content/uploads/2010/04/e382afe382a4e38381e383a3e383bc.jpg" alt="宮古島の伝統舞踊“クイチャー”でトライアスリートにエールを送る（STORONGMAN20年の軌跡より抜粋）" width="300" height="191" /></a><p class="wp-caption-text">宮古島の伝統舞踊“クイチャー”でトライアスリートにエールを送る（STORONGMAN20年の軌跡より抜粋）</p></div>
<p>この伊豆見の命令が、真喜屋の頭の中に残っていた。だから、真喜屋は田中の話を聞くうちに、トライアスロンで伊豆見を口説き落とすことも可能だと、密かに思っていたのである。９月初旬のある日、真喜屋は意を決し、社長室のドアを叩いた。</p>
<p><span style="color: #660066;">「かねて社長から宿題となっていた宮古でのスポーツ・イベントが、ようやく見付かりました」</span></p>
<p><span style="color: #1c7d0c;">「ほほー、それは何？」</span></p>
<p><span style="color: #660066;">「トライアスロンです。宮古の方でも受け入れる機運が高まっています」</span></p>
<p>真喜屋の顔を窺い話を聞いていた伊豆見だが、暫くしてニヤッと笑い、</p>
<p><span style="color: #1c7d0c;">「君もなかなかやるな！　僕の心の内を知っていたのかね。宜しい。やり給え。但し、絶対に安全第一で頼むよ。社を挙げて取り組むから、嶋袋君と２人で力を合せてやってくれ」</span></p>
<p>伊豆見も真喜屋も、心は宮古島へと飛んだ。</p>
<div id="attachment_3316" style="width: 213px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://www.tri-x.jp/wordpress/wp-content/uploads/2010/04/e4bc8ae8b186e8a68be58583e4b880e7a4bee995b7.jpg"><img class="size-medium wp-image-3316" title="伊豆見元一元琉球新報社社長" src="https://www.tri-x.jp/wordpress/wp-content/uploads/2010/04/e4bc8ae8b186e8a68be58583e4b880e7a4bee995b7.jpg" alt="第1回大会の模様を見物する伊豆見元一元琉球新報社社長（STORONGMAN20年の軌跡より抜粋）" width="203" height="300" /></a><p class="wp-caption-text">第1回大会の模様を見物する伊豆見元一元琉球新報社社長（STORONGMAN20年の軌跡より抜粋）</p></div>
<p>《次回予告》<br />
<span style="color: #993300;">宮古島トライアスロン大会の開催を巡り揺れ動く地元・市町村関係者らの動静を述べる。また＜トライアスロン談義＞では、宮古広域市町村圏協議会・事務局長として第1回大会の準備と運営に奔走した長濱幸夫氏に、行政として当時の大会への関わりや考え方を語って戴く。</span></p>
<blockquote><p>※この物語は歴史的事実を踏まえながらも、ストーリー性を加味させるため、若干の脚色をほどこしています。しかし、事実を歪曲したり、虚偽を記すことはありません。また、個人名はすべて敬称を省略しています。</p></blockquote>
<p>&nbsp;</p>
<h2 class="mceTemp">＜トライアスロン談義＞惚れて通えば千里も一里　【田中清司】</h2>
<p>私が初めて宮古島へ赴いたのは、今から27年前の1983年春のことでした。当時、私が勤務していた東京急行電鉄株式会社は、ホテル事業の一環として「イン事業部」を設置し、リゾート開発を含めた新しいタイプのホテル「東急イン」の全国展開に乗り出していたのです。その事業の一つとして84年４月にオープンさせたのが宮古島の「東急リゾート」でした。<br />
しかし、このリゾート・ホテルは遠隔地の離島の為、航空アクセスの点で何かと不便でしたし、それに何よりも「宮古島」という島の存在そのものが国内で知られていなかったこともあって、オープンしても来客はごく僅か、閑古鳥が鳴く始末でした。</p>
<p><span style="color: #99cc00;">「この状況を打開する為には、単にホテルの宣伝をするだけではなく、宮古島全体を日本中の人々に知ってもらう必要がある」</span></p>
<p>当時、イン事業部の販売促進課長だった私は、全国35個所のホテル（うちリゾート・ホテルは４個所）の新事業の販売促進に取り組んでいましたが、取り分け総額約50億円をかけ沖縄県下、最高級の宮古島リゾートの集客減については、その抜本策を考えなければなりませんでした。この為、しばしば宮古島へ足を運ぶ等して、島の知名度アップの作戦を検討しました。そして、飛行機の窓から宮古島の平坦な地形を見下ろしながら、</p>
<p><span style="color: #99cc00;">「スポーツ競技の適地として売り込んだらどうだろう。そうだ！　この島をスポーツ・アイランドにしよう」</span></p>
<p>と思ったのです。さらに、宮古島の暖かな気候、起伏が少ない平らな地勢、島を囲む美しい珊瑚礁の海、それら自然の条件をフルに活用した上、離島故に交通量も少ない利点、日本最南端の日本陸上競技連盟公認マラソン・コースがあることが大きなヒントとなり、最終的にトライアスロン大会の開催を思い立ったのです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<div id="attachment_3319" style="width: 310px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://www.tri-x.jp/wordpress/wp-content/uploads/2010/04/e69db1e680a5e383aae382bee383bce38388.jpg"><img class="size-medium wp-image-3319" title="宮古島　東急リゾート" src="https://www.tri-x.jp/wordpress/wp-content/uploads/2010/04/e69db1e680a5e383aae382bee383bce38388.jpg" alt="東急グループがリゾート開発に乗り出し84年春にオープンした「宮古島　東急リゾート」" width="300" height="224" /></a><p class="wp-caption-text">東急グループがリゾート開発に乗り出し84年春にオープンした「宮古島　東急リゾート」</p></div>
<p>また、やるからには話題性、将来性があって、マスメディアに乗せられる、日本を代表する魅力的なイベントにしなければならないと考えました。そうでないと２回目以降の大会は、他の地域のスポーツ・イベントに、お客をさらわれ兼ねないと思ったからです。スポーツ・アイランドの宮古島において開催するイベントを、必ずしもトライアスロンに特化した訳ではありませんが、トライアスロン大会を開くのであれば、矢張りハワイ大会の如く42.195Kmのフル・マラソンを採り入れたフル・トライアスロンとしてステータスの高いイベントにする必要がある。その結果、「何がなんでも宮古島」でなければならないステータスを築かなければならない、との確信に至ったのでした。</p>
<p>早速、私はハワイで行われているアイアンマン大会のビデオ・テープを知人に頼んでダビングしてもらい、宮古島へ出張する度に地元の宮古体育協会や学校関係者にそのビデオを見せ、トライアスロン大会の開催をアピールしました。しかし、島民の方々はその場では賛意を表されても、それ以上、一歩前へは進んでくれません。私の発想と提案は結局、空しく終わりました。</p>
<p><span style="color: #99cc00;">「もうこれ以上、宮古島の人々を説得することは出来ない。私の宮古島の発展を願う気持が地元の方々には理解して戴けなかった」</span></p>
<p>諦めの心境を抱いて那覇経由で東京へ帰る途中、ふっと大学時代の競走部の先輩で沖縄テレビ放送の福永俊郎専務の顔が浮かびました。東京便のフライトまで間があったので、「愚痴の一つでも聞いてもらおう」との思いで福永先輩の会社に立ち寄りました。すると先輩は、</p>
<p><span style="color: #ca157e;">「それはテレビ会社よりも新聞社に適したイベントだ。矢張り私達と同じ早稲田の先輩、伊豆見元一さんが琉球新報社の社長をなさっているから、彼を紹介しよう」</span></p>
<p>私は、「これは得たり」との思いで、すぐさま沖縄テレビ放送とは目と鼻の先の琉球新報社を訪ね、伊豆見社長に面会を求めたのです。伊豆見社長は取締役会の最中でしたが、会議を中座され面会して戴き、その上で、仔細は真喜屋　明事業局長と相談するよう、案内されました。私は同じ社屋にある３階の事業局長室へ駆け降りました。</p>
<div id="attachment_3320" style="width: 310px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://www.tri-x.jp/wordpress/wp-content/uploads/2010/04/e4bc8ae6b3a2e383bbe4bc8ae8b186e8a68be383bbe794b0e4b8ad.jpg"><img class="size-medium wp-image-3320" title="与那覇前浜ビーチで" src="https://www.tri-x.jp/wordpress/wp-content/uploads/2010/04/e4bc8ae6b3a2e383bbe4bc8ae8b186e8a68be383bbe794b0e4b8ad.jpg" alt="与那覇前浜ビーチで記念撮影。写真左より元伊波平良市長、故伊豆見琉球新報社社長、田中清司元東急販促課長（写真提供；田中清司氏）" width="300" height="280" /></a><p class="wp-caption-text">与那覇前浜ビーチで記念撮影。写真左より元伊波平良市長、故伊豆見琉球新報社社長、田中清司元東急販促課長　　　　　（写真提供；田中清司氏）</p></div>
<p>真喜屋局長は私の話をよく聞いて下さいました。そして真喜屋局長はトライアスロンについて大変、興味を惹かれ、かつ宮古島での大会開催に関心を示されました。その結果、</p>
<p><span style="color: #800080;">「丁度よいタイミングでした。明日、私と企画局長の嶋袋が宮古島に出張しますので、そのハワイのビデオを現地の人達に見てもらいましょう」</span></p>
<div id="attachment_3321" style="width: 310px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://www.tri-x.jp/wordpress/wp-content/uploads/2010/04/05e5b9b4efbc94e69c88e8ac9be6bc94.jpg"><img class="size-medium wp-image-3321" title="講演会" src="https://www.tri-x.jp/wordpress/wp-content/uploads/2010/04/05e5b9b4efbc94e69c88e8ac9be6bc94.jpg" alt="度々、宮古島を訪れ、講演会の演壇に立つ" width="300" height="208" /></a><p class="wp-caption-text">度々、宮古島を訪れ、講演会の演壇に立つ</p></div>
<p>こうして再び、私の宮古島でのトライアスロン大会開催の企画が浮上することになったのです。1984年５月、「全日本トライアスロン宮古島大会」が開催される11箇月前のことです。27年前に発想したトライアスロン大会の開催が実現され、今日に至るまで日本を代表するスポーツ・イベントとして成長、発展したことを、改めて「やって良かった。頑張って良かった」と思わざるを得ません。<br />
それもこれも、私が宮古島という南海の「美ぎ島」に魅せられたからです。当初はホテルの販促ビジネスの一環として取り組み始めたことですが、次第にビジネスの領域を越えて「宮古島全体を売り出す」という気持に至ったからでしょう。何度も何度も宮古島へ足を運び、現地の方々とコミュニケーションを交わし、理解と信頼の上に立って皆で力を合せトライアスロン大会を実現させた原動力は、私自身が一個の人間として宮古島に惚れて惚れ抜いたからだと思います。宮古島へ赴く時、今も私は「惚れて通えば、千里も一里」の気持で胸が一杯になります。</p>
<div id="attachment_3322" style="width: 310px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://www.tri-x.jp/wordpress/wp-content/uploads/2010/04/cimg5846.jpg"><img class="size-medium wp-image-3322" title="田中清司氏" src="https://www.tri-x.jp/wordpress/wp-content/uploads/2010/04/cimg5846.jpg" alt="田中清司氏近影（川崎市の自宅にて、10年１月撮影）" width="300" height="224" /></a><p class="wp-caption-text">田中清司氏近影（川崎市の自宅にて、10年１月撮影）</p></div>
<p>【田中清司氏プロフィール】<br />
<span style="color: #808000;">1938年、東京で生まれる。早稲田大学を卒業後、東京急行電鉄株式会社に入社。株式会社ジャパン・エア・システム（JAS)を経て、現在は「Ｊスポーツ企画」の代表としてスポーツ合宿や試合遠征の手配などスポーツ・イベントの企画、運営を行う傍ら、「奄美観光大使」や「士別ふるさと大使」に任命され、地域活性化のコンサルティング・サポート役を務めている。スポーツとの関わりは深く、高校生時代から陸上競技・中距離選手として活躍、日本のトップ・アスリートとして大学生時代に1,500mで1958～59年、２年連続で日本選手権優勝。早稲田大学「箱根駅伝」監督も務めた。</span></p>
</div>
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