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	<title>TRI-X &#187; 小松</title>
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		<title>Vol.30：雷神の巻　第３章その8：腕時計をアンパンに引き換えた</title>
		<link>https://www.tri-x.jp/1748</link>
		<comments>https://www.tri-x.jp/1748#comments</comments>
		<pubDate>Tue, 23 Jun 2009 05:20:33 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[tri-x_admin]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[日本トライアスロン物語]]></category>
		<category><![CDATA[80年代]]></category>
		<category><![CDATA[トライアスロン]]></category>
		<category><![CDATA[小松]]></category>
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		<category><![CDATA[鉄人]]></category>

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		<description><![CDATA[<img src="https://www.tri-x.jp/article/wp-content/uploads/2009/06/climb-100x100.jpg"="0" alt="" class="fl bdr" />「ウォアー」、「ヤアー」、「キャアー」　山中に様々な絶叫が響き渡る。そしてロープを伝わり下山する急坂では、そのロープを握り締めた軍手が摩擦で破れてしまう程だった。

]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<div id="mainColumn">
<h2 class="w_02">日本トライアスロン物語</h2>
<blockquote style="background-color: #f9f9f9; border: solid 1px #ccc;"><p>
※この物語は歴史的事実を踏まえながらも、ストーリー性を加味させる為、若干の脚色を施しています。しかし、事実を歪曲したり、虚偽を記すことはありません。また、個人名はすべて敬称を省略しています。</p></blockquote>
<p class="top_cap" style="font-size: 0.9em; color: #848484; margin-bottom: 7px; font-weight: bold;">第３章その8</p>
<h3 style="font-size: 34px; margin-top: -10px;">腕時計をアンパンに引き換えた</h3>
<div class="bassui" style="background-color: #f6f6f6; padding: 8px 10px; margin-bottom: 30px;"><strong>【この記事の要点】</strong><br />
<a href="https://www.tri-x.jp/wordpress/wp-content/uploads/2009/06/climb-100x100.jpg" target="_self" rel="lightbox"><img class="fl bdr" style="border: solid 1px #ccc; padding: 4px; float: left;" src="https://www.tri-x.jp/wordpress/wp-content/uploads/2009/06/climb-100x100.jpg" alt="" width="100" /></a></p>
<p class="clearfix" style="margin-left: 120px;">「ウォアー」、「ヤアー」、「キャアー」　山中に様々な絶叫が響き渡る。そしてロープを伝わり下山する急坂では、そのロープを握り締めた軍手が摩擦で破れてしまう程だった。</p>
</div>
<p>　<br />
 市の活性化、発展を願う地元・若者達の熱意と努力が実り、皆生・湘南大会に次いで我が国３つ目のトライアスロン大会が、1982年10月17日の第３日曜日に産声を上げた。その名も「第１回小松トライアスロン大会」と呼ぶ。スイム競技の代わりに登山を採り入れたバイク～登山～バイク～ランのトライ（３つの）アスロン（競技）である。当初は北陸本線の小松駅と粟津駅の中間地に新たにオープンした木場潟（きばがた）公園内の湖でスイム競技も検討されたが、結局、標高604mの動山（ゆるぎやま）の山登りとなった。<br />
　コースは、まず木場町の木場潟公園をバイクでスタート、５Kmほど先の森林組合（東山町）まで集団でサイクリングを行う。それというのも、当初、大会開催に難色を示した警察の指示により、バイク競技は交通量が少ない地域で行わざるを得なかった為だ。それで森林組合から選手５名ずつが時差スタートを開始、途中、風光明媚な荒又峡を通り抜け、大杉谷川の水を塞き止めた赤瀬ダムの「自由の広場」まで18Km走って一端、バイクは終了。そして、いよいよ登山10Kmへと入っていく。</p>
<div id="attachment_1750" style="width: 310px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://www.tri-x.jp/wordpress/wp-content/uploads/2009/06/seien.jpg"><img class="size-medium wp-image-1750" title="住民から大声援を受けるバイクコース（第２回大会より、写真提供；小松トライアスロン実行委員会、以下同じ）" src="https://www.tri-x.jp/wordpress/wp-content/uploads/2009/06/seien-300x216.jpg" alt="住民から大声援を受けるバイクコース（第２回大会より、写真提供；小松トライアスロン実行委員会、以下同じ）" width="300" height="216" /></a><p class="wp-caption-text">住民から大声援を受けるバイクコース（第２回大会より、写真提供；小松トライアスロン実行委員会、以下同じ）</p></div>
<p>　登山は、大会実行委員会（本田　悟実行委員長）メンバーの活動拠点になっていた「大杉青年の家」がある動山を頂上まで登り詰めた後、選手達は急坂を降りて再び「自由の広場」へ戻る。さらにバイクに跨り、森林組合前を通過して隣町の連代寺町まで22Km走って終了、いよいよ最後のラン7.5Kmをこなし、木場潟公園へ戻ってフィニッシュするのである。<br />
　この変わり種のトライアスロン大会に集まった選手の総数は99人。内訳は石川県内の選手が79人、県外の選手が20人（うち外国人１人）という比較的、地元色の濃い大会となった。しかも選手の中には、バイクはロードレーサーではなく、なんと！　ママチャリで出場する者もかなりいた。何しろトライアスロンは日本で始まったばかり、当時はサイクリスト以外、ロードレーサーに乗るアスリートは極めて少ない時代である。因みに参加費は１人500円。今日と比べると、実に安いエントリー・フィーだった。</p>
<div id="attachment_1751" style="width: 310px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://www.tri-x.jp/wordpress/wp-content/uploads/2009/06/sensei.jpg"><img class="size-medium wp-image-1751" title="開会セレモニーで選手宣誓も行われた（第１回大会）" src="https://www.tri-x.jp/wordpress/wp-content/uploads/2009/06/sensei-300x191.jpg" alt="開会セレモニーで選手宣誓も行われた（第１回大会）" width="300" height="191" /></a><p class="wp-caption-text">開会セレモニーで選手宣誓も行われた（第１回大会）</p></div>
<p> <br />
　レースのメイン・イベントとも言うべき登山は、選手達もさすがに息絶え絶え、もがき苦しんだ。特に動山頂上から水呑み場がある「弘法水」まで一気に下る下山道は厳しい下り坂が続く。</p>
<p><span style="color: #ff0000;">「ウォアー」、「ヤアー」、「キャアー」</span></p>
<p> </p>
<div id="attachment_1752" style="width: 236px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://www.tri-x.jp/wordpress/wp-content/uploads/2009/06/climb.jpg"><img class="size-medium wp-image-1752" title="開会セレモニーで選手宣誓も行われた（第１回大会）" src="https://www.tri-x.jp/wordpress/wp-content/uploads/2009/06/climb-226x300.jpg" alt="開会セレモニーで選手宣誓も行われた（第１回大会）" width="226" height="300" /></a><p class="wp-caption-text">上りも下りもロープを伝わっての厳しい山道が続く（第１回大会）</p></div>
<p>　山中に様々な絶叫が響き渡る。そしてロープを伝わり下山する急坂では、そのロープを握り締めた軍手が摩擦で破れてしまう程だった。さらに、登山を終えバイクからランへと至る道程にはエイドステーションは一切、無く、この為、腹を減らした選手は食料品店へ駆け込み、</p>
<p><span style="color: #ff00ff;">「このアンパンを譲って下さい!!　でも、お金を持っていないから、この腕時計を置いていきます」</span></p>
<p>という具合に、食糧を各自、自力で調達したのだ。</p>
<div id="attachment_1753" style="width: 310px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://www.tri-x.jp/wordpress/wp-content/uploads/2009/06/aidstation.jpg"><img class="size-medium wp-image-1753" title="飲み物も地元住民からサポートされた（第１回大会）" src="https://www.tri-x.jp/wordpress/wp-content/uploads/2009/06/aidstation-300x204.jpg" alt="飲み物も地元住民からサポートされた（第１回大会）" width="300" height="204" /></a><p class="wp-caption-text">飲み物も地元住民からサポートされた（第１回大会）</p></div>
<p>　こうして、登山を組み込んだ過酷な鉄人レースが終わった。完走者は97人、従ってリタイアした者は僅か２人だけである。優勝者は、男子が旧根上町に住む西田　芳で総合タイムは２時間24分18秒、女子は富山県滑川市の高瀬祐子で同３時間16分56秒。また完走者の中には、この第１回大会以来、今日まで26年間、出場記録を刻んでいる西山義和（当時25歳、旧白峰村）もいた。高校生時代からスキーのクロスカントリー選手として養った体力を生かし、総合６位に食い込んだのだ。入賞者達には、白山麓から採取してきた自然石のユニークな賞状が贈られた。</p>
<p>　大会運営に当たった地元・青年達の総数は30名。エイドステーションも無ければ、完走Ｔシャツもない、ちょいと寂しいトライアスロン大会であったが、完走した選手達の顔は皆、爽やかだった。山本久夫選手と同じく第２回大会から連続出場している谷口　誠（当時20歳、大阪府和泉市）は、小松トライアスロンの魅力を次のように話す。</p>
<p><span style="color: #20a71a;">「地元の住民ボランティアと選手が一体となったホットな大会です。だから順位を争うのではなく、サイクリングも登山もマイペースで楽しんでいます」</span></p>
<p>　こうして小松トライアスロン大会は、今日まで26年余の歳月を刻んできたのである。</p>
<div id="attachment_1755" style="width: 310px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://www.tri-x.jp/wordpress/wp-content/uploads/2009/06/shirts.jpg"><img class="size-medium wp-image-1755" title="翌年の第２回大会には参加シャツも用意された。25年前のそのＴシャツは、今や谷口のみが保有している」（写真提供；谷口氏）" src="https://www.tri-x.jp/wordpress/wp-content/uploads/2009/06/shirts-300x225.jpg" alt="翌年の第２回大会には参加シャツも用意された。25年前のそのＴシャツは、今や谷口のみが保有している」（写真提供；谷口氏）" width="300" height="225" /></a><p class="wp-caption-text">翌年の第２回大会には参加シャツも用意された。25年前のそのＴシャツは、今や谷口のみが保有している」（写真提供；谷口氏）</p></div>
<div id="attachment_1756" style="width: 310px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://www.tri-x.jp/wordpress/wp-content/uploads/2009/06/face1.jpg"><img class="size-medium wp-image-1756" title="谷口　誠氏（07年９月撮影）" src="https://www.tri-x.jp/wordpress/wp-content/uploads/2009/06/face1-300x225.jpg" alt="谷口　誠氏（07年９月撮影）" width="300" height="225" /></a><p class="wp-caption-text">谷口　誠氏（07年９月撮影）</p></div>
<p> </p>
<p>《次回予告》<span style="color: #0000ff;">1982年11月に福岡県久留米市において、地元サイクリング・クラブが手作りで開催した「第1回久留米トライアスロン大会」の模様と、優勝した片岡宏介氏の＜トライアスロン談義＞を掲載します。</span></p>
<blockquote><p>※この物語は歴史的事実を踏まえながらも、ストーリー性を加味させるため、若干の脚色をほどこしています。しかし、事実を歪曲したり、虚偽を記すことはありません。また、個人名はすべて敬称を省略しています。</p></blockquote>
<h3 class="mceTemp">＜トライアスロン談義＞竹の節の如く、精進の成果を残す　【山本　久夫】</h3>
<p>　私がトライアスロンを始めたのは33歳の時、1983年の第３回皆生大会でした。それまでスポーツとは、中学生の時が野球、高校生の時がハンドボール、そして大学生時代がマラソンと、それぞれ携わり楽しんできました。マラソンは社会人になっても続け、フルで２時間30分前後で走っていましたが、完走し疲れ切った充足感と言うのでしょうか、或いは走り切った満足感と言うのでしょうか、そんな気持がいま一つ得られず、それでトライアスロンへの挑戦を思い立ったのです。<br />
　初めて出場した皆生トライアスロン大会は総合８時間51分25秒で、若いエリート選手の梅沢君に続いて２番目にフィニッシュすることが出来ました。初トライアスロンとしては、まずまず納得出来る成績だったと思います。この準優勝の成績が知られたのでしょうか？　同じその年の９月に開催される第２回小松トライアスロン大会から参加申し込みの案内状が届きました。<br />
　小松大会は水泳の代わりに登山という変わり種のトライアスロンでしたが、</p>
<p><span style="color: #993300;">「マラソンで鍛えた健脚を生かせれば、山登りもやれる」</span></p>
<p>と考え、出場することを決めました。結果は&#8221;優勝&#8221;。山登りの途中から先頭に立ち、４時間１分56秒のタイムでゴールインしました。以来、小松大会には毎年、参戦し、昨年まで連続25回、出場しております。実は、私の娘は83年の第２回大会に出場した年に生まれましたが、その娘の成長と共に連続記録を刻んできたことになります。</p>
<div id="attachment_1758" style="width: 235px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://www.tri-x.jp/wordpress/wp-content/uploads/2009/06/finish.jpg"><img class="size-medium wp-image-1758" title="奥さん、娘さんと手を繋ぎフィニッシュする山本選手（07年９月、2007KOMATSU全日本鉄人レースの大会会場にて撮影）" src="https://www.tri-x.jp/wordpress/wp-content/uploads/2009/06/finish-225x300.jpg" alt="奥さん、娘さんと手を繋ぎフィニッシュする山本選手（07年９月、2007KOMATSU全日本鉄人レースの大会会場にて撮影）" width="225" height="300" /></a><p class="wp-caption-text">奥さん、娘さんと手を繋ぎフィニッシュする山本選手（07年９月、2007KOMATSU全日本鉄人レースの大会会場にて撮影）</p></div>
<p>　こうして四半世紀の年月を小松トライアスロンと共に歩んできた私ですが、それもこれも、</p>
<p><span style="color: #cca300;">「今日よりも明日、明日よりも明後日」</span></p>
<p>という気持で、日々、トレーニングに精進してきた結果だと思っています。毎日、日課となっている朝の散歩、その後に行う１時間ほどのバイク・トレーニングなど、一日一日を大切にトレーニングに励んできた成果を残していこうと、毎年１回、小松大会に参戦してきたのです。<br />
　竹が毎年、節を作って成長していくように、私も毎年、トレーニングの成果を自ら刻んできたのです。その節作りはこれからも先、私の&#8221;第二の故郷&#8221;とも言うべき小松の地で続いていくことでしょう。</p>
<div id="attachment_1759" style="width: 235px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://www.tri-x.jp/wordpress/wp-content/uploads/2009/06/face2.jpg"><img class="size-medium wp-image-1759" title="山本久夫氏（07年９月撮影）" src="https://www.tri-x.jp/wordpress/wp-content/uploads/2009/06/face2-225x300.jpg" alt="山本久夫氏（07年９月撮影）" width="225" height="300" /></a><p class="wp-caption-text">山本久夫氏（07年９月撮影）</p></div>
<p> <br />
【山本久夫氏プロフィール】</p>
<p><span style="color: #749b00;"><span style="color: #879417;">1949年生まれ。愛知県岡崎市出身。トライアスロン・デビューは33歳の時。第３回皆生トライアスロン大会に出場し総合２位となり、同じ年の第２回小松トライアスロン大会では優勝。以後、小松トライアスロン大会には毎年出場し、連続25回完走、うち優勝４回、準優勝２回の記録をつくる。現在は高等学校の体育教師を務め、定年後には鍼灸治療の医院を開院する予定。</span></span></p>
</div>
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		</item>
		<item>
		<title>Vol.29：雷神の巻　第３章その7：変った事、面白いことをやろう</title>
		<link>https://www.tri-x.jp/1735</link>
		<comments>https://www.tri-x.jp/1735#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 22 Jun 2009 08:25:40 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[tri-x_admin]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[日本トライアスロン物語]]></category>
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		<description><![CDATA[<img src="https://www.tri-x.jp/article/wp-content/uploads/2009/06/honda-100x100.jpg"="0" alt="" class="fl bdr" />小松市内に本拠を置く機械や建築業などの企業群をはじめ、食品や土建、絹織物などの地場産業、医療機関や新聞社、さらには関西方面にまで足を運んで協賛金を募った。京都の企業から30万円の協賛金が得られた時には、「やったぞぉ!!」本田は思わず皆の前で声をあげた。もう、必死だった。
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<div id="mainColumn">
<h2 class="w_02">日本トライアスロン物語</h2>
<blockquote style="background-color: #f9f9f9; border: solid 1px #ccc;"><p>
※この物語は歴史的事実を踏まえながらも、ストーリー性を加味させる為、若干の脚色を施しています。しかし、事実を歪曲したり、虚偽を記すことはありません。また、個人名はすべて敬称を省略しています。</p></blockquote>
<p class="top_cap" style="font-size: 0.9em; color: #848484; margin-bottom: 7px; font-weight: bold;">第３章その7</p>
<h3 style="font-size: 34px; margin-top: -10px;">変った事、面白いことをやろう</h3>
<div class="bassui" style="background-color: #f6f6f6; padding: 8px 10px; margin-bottom: 30px;"><strong>【この記事の要点】</strong><br />
<a href="https://www.tri-x.jp/wordpress/wp-content/uploads/2009/06/honda-100x100.jpg" target="_self" rel="lightbox"><img class="fl bdr" style="border: solid 1px #ccc; padding: 4px; float: left;" src="https://www.tri-x.jp/wordpress/wp-content/uploads/2009/06/honda-100x100.jpg" alt="" width="100" /></a></p>
<p class="clearfix" style="margin-left: 120px;">中山俊行選手はラスト500ｍ当たりで、ついにモリーナを抜き去った時、胸の中で「やった！」と感嘆の声をあげると同時に、高木社長との約束やチーム・エトナのリーダーとして責任を果たしたことに正直、安堵した。また世界のアイアンマン・レースだけでなく、51.5Kmのショート・タイプのトライアスロンでも、日本のナンバーワンであることを見事に証明したのである。</p>
</div>
<p>　<br />
 石川県小松市の東南に「動山＝ゆるぎやま」という標高604mの山がある。富士山、立山と並び称される日本三名山の一つ、白山（2､702m）の日本海側に広がる山麓の一峰である。手取川や梯（かけはし）川によって形成された豊穣な扇状地・加賀平野に住む人々は、古より動山を眺めつつ、その奥に聳え立つ霊峰・白山を仰ぎ見、暮らしてきたのだ。<br />
　その動山は、彼らにとって憩い楽しむ場所でもあった。青空の下、真っ赤なキリシマツツジが花開く動山の山道をハイキングしながら、若者達は語り合った。そして山頂へと続く中腹に建つ小松市の教育施設「大杉青年の家」で、議論を交わした。彼らとは小松市に住む、将来の市の発展を願う若者達である。</p>
<p><span style="color: #ff0000;">「町に元気を取り戻したい。どうしたら町を活性化できるだろうか」</span></p>
<p>　当時20歳代の、市役所や青年会議所、消防団などから選ばれた若者16名による「小松能力開発研究会」の面々は思案した。研究会を立ち上げてから７年にもなるが、町を活性化する切り札は、なかなか見付からなかった。</p>
<p>　加賀平野の中央に位置し、人口約11万人を擁する小松市。その名の「小松」は、平安時代中期に花山法皇が稚松を植え「園の小松原」と呼ばれたことに起因する説や、小松内大臣だった平重盛が「小松殿」を建立し、後に「小松寺」と称した由来から名付けられたという説があるように、加賀における古い歴史と伝統がある。また、今日のような発展の基礎が築かれたのは江戸時代中期、加賀国の三大藩主だった前田利常が小松城を隠居処と定めた頃からで、以来、城下町として発展すると共に、陶磁器の九谷焼や小松綸子（りんし）と呼ぶ織物、畳表、石材などの伝統産業が生まれ育ってきた。<br />
　しかし、近年の地方都市のおける農林漁業の衰退や高齢化の進行、それに伴い若者達は町から去り都会へ出て行き地域産業・経済の空洞化現象が顕在化し、小松市でも人口の減少と共に経済や文化活動の衰退で、町は活気を失いつつあった。このため全国各地の市町村は&#8221;町興し・村興し&#8221;の策を練っていた時期である。<br />
　そんな折、研究会の講師として招かれた深江泰輔は、若者達にアドバイスをした。</p>
<p><span style="color: #00cc00;">「イベントを開催するのです。皆の力を合せて、何か事業を起こすのです」</span></p>
<p>　それを聞いて、研究会の会長役を務めていた本田　悟（当時30歳）は自得した。</p>
<p><span style="color: #0000ff;">「何か変わったこと、面白いことをやろう。それで町に人々を呼び戻そう」</span></p>
<div id="attachment_1738" style="width: 310px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://www.tri-x.jp/wordpress/wp-content/uploads/2009/06/honda.jpg"><img class="size-medium wp-image-1738" title="本田　悟氏近影（07年９月、小松ドームにて撮影）" src="https://www.tri-x.jp/wordpress/wp-content/uploads/2009/06/honda-300x225.jpg" alt="本田　悟氏近影（07年９月、小松ドームにて撮影）" width="300" height="225" /></a><p class="wp-caption-text">本田　悟氏近影（07年９月、小松ドームにて撮影）</p></div>
<p>　同じく、当時、市の職員として「大杉青年の家」に勤務していた寺田喜代嗣（同27歳）は思った。</p>
<p><span style="color: #ff0000;">「世界中の人々を呼び寄せるイベントを開催したらどうだ。そうすれば町も賑わう。町の人達も喜ぶ。小松市に活気が戻ってくる」</span></p>
<p> </p>
<div id="attachment_1739" style="width: 310px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://www.tri-x.jp/wordpress/wp-content/uploads/2009/06/terada.jpg"><img class="size-medium wp-image-1739" title="選手達を応援する寺田喜代嗣氏（07年９月、小松ドームにて撮影）" src="https://www.tri-x.jp/wordpress/wp-content/uploads/2009/06/terada-300x225.jpg" alt="選手達を応援する寺田喜代嗣氏（07年９月、小松ドームにて撮影）" width="300" height="225" /></a><p class="wp-caption-text">選手達を応援する寺田喜代嗣氏（07年９月、小松ドームにて撮影）</p></div>
<p>　思案の結果、提案されたのが世界中の食べ物を展示、紹介する&#8221;世界食べ物展&#8221;の開催だった。各国の大使を招いて、国際色豊かなイベントにしようというのだ。あるいは、地場産業の石材を白山の頂上へ運び上げる競技イベントも提案された。しかし、この２つの案は白紙となり、新たに浮上したのが&#8221;トライアスロン&#8221;だった。1982年６月のことである。</p>
<p><span style="color: #ff0000;">「トライアスロンをやれば、元気になれる！」</span></p>
<p>　82年といえば、「皆生トライアスロン大会」が日本で初めて開催された翌年に当たるが、彼らは皆生大会のことは全く知らなかった、しかし、ハワイ島で行われているアイアンマン・レースのことは、うすうす耳に入っていたようだ。とはいえ、ハワイのような大会が開ける訳もない。自分達の能力も限られているし、第一、トライアスロンの知識も十分ではなかった。</p>
<p><span style="color: #0000ff;">「でも、やれるだけのことはやろう。一生懸命、頑張ってみよう」</span></p>
<p>　本田は自分自身に気合いを入れた。そして大会の開催経費を賄うため、皆の先頭を切って大会スポンサー集めに乗り出した。小松市内に本拠を置く機械や建築業などの企業群をはじめ、食品や土建、絹織物などの地場産業、医療機関や新聞社、さらには関西方面にまで足を運んで協賛金を募った。京都の企業から30万円の協賛金が得られた時には、</p>
<p><span style="color: #0000ff;">「やったぞぉ!!」</span></p>
<p>　本田は思わず皆の前で声をあげた。もう、必死だった。<br />
　地域の祭りや行事スケジュールを勘案して決めた大会開催日まで３箇月余りしかなかったが、地元の若者達の熱意と努力でトライアスロン大会は予定通り、1982年10月17日、99名の選手を集めて行われたのである。大会名称を「第１回小松トライアスロン大会」とし、スイム競技の代わりに動山を巡る山登りを取り入れたバイク～登山～バイク～ランのトライ（３つの）アスロン（競技）となった。</p>
<p> <br />
《次回予告》<br />
<span style="color: #00d600;">第1回小松トライアスロン大会のレース模様と、第２回大会以降25年間、トップ選手として連続出場してきた山本久夫氏の＜トライアスロン談義＞を掲載します。石川県小松市で1982年10月に開催された「小松トライアスロン大会」の模様を２回にわたって連載します。</span></p>
<blockquote><p>※この物語は歴史的事実を踏まえながらも、ストーリー性を加味させるため、若干の脚色をほどこしています。しかし、事実を歪曲したり、虚偽を記すことはありません。また、個人名はすべて敬称を省略しています。</p></blockquote>
<h3 class="mceTemp">＜トライアスロン談義＞妻と二人三脚で歩んだ26年の歳月　【寺田　喜代嗣】</h3>
<p>　早や26年も前のことになります。その時、私は27歳。小松市の職員として動山の「大杉青年の家」に勤めていた私は、市内在住の若者達で構成する「小松市能力開発研究会」のメンバーと共に&#8221;元気な町づくり&#8221;を目指し、全員参加型イベントの開催に向けた取り組みを検討していました。その結果、ようやく決ったのがトライアスロン大会でした。ハワイで行われているトライアスロンにヒントを得て、</p>
<p><span style="color: #ab35a6;">「我々もやってみよう。皆で考え、皆で協力し合って、町を盛り上げよう」</span></p>
<p>ということになったのです。とはいえ、大会開催が正式決定したのは82年６月です。その年の10月の開催ということで、余り時間がありません。おまけにトライアスロンに関わる資料もないし、誰一人としてハワイ大会を見聞した者はおりません。大会開催を決めたのは好いけれど、どこからどのように手をつけようか？　まさしく私達は、五里霧中でトライアスロン大会の開催に向かって活動を開始したのです。</p>
<p>　このため私は、仕事が終わると毎晩のように研究会のメンバーやスタッフ達と会合を重ね、自分の時間が持てない慌ただしい日々を送ることになりました。実は妻の恵（めぐみ）とは５月に結婚したばかりでしたが新婚生活もどこ吹く風、毎日、大会開催のための打ち合わせと準備に追いまくられていたのです。さすがに妻も呆れて、</p>
<p><span style="color: #ff00ff;">「私は鉄人レースと結婚した??」</span></p>
<p>などと、内心ぼやいていたようです。<br />
　しかし、妻の理解と協力も得て、予定通り10月の第３日曜日の17日にトライアスロン大会を開催することが出来ました。以来、妻は26年間、私と共に大会を支えるボランティア・スタッフとして参加しております。そして妻だけでなく市内50に及ぶボランティア団体の方々をはじめ、第１回大会の開催に当たって強い懸念を示された医師会や警察の方々にも、第２回大会以降は全面的な協力を戴くことができ、今日まで26年間の歴史を刻んできたのです。<br />
　こうして長い年月を重ねてこれたのも、ひとえに多くの皆様のお陰ですが、それに加え実行委員会としては、大会運営を市民主導型とし自治体任せにしなかったこと、そのために自治体依存の高い大会でよく見られる財政難に陥るリスクが少なかったこと、さらには、この26年間に死亡事故が一度も発生しなかったことなどが、大きな要因としてあげられます。<br />
そして何よりも、「参加する選手はもちろん、大会運営に当るボランティア、そして沿道で声援してくれる皆さんすべてが主人公」。そんな考え方で運営してきたのが良かったのかも知れません。大会終了後に出場した選手達が後片付けを手伝ってくださるように、小松トライアスロン大会はボランティアも選手も一体となった&#8221;ホットな大会&#8221;として、皆の気持が一つとなって続けてこられたからだ、と思います。</p>
<div id="attachment_1741" style="width: 310px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://www.tri-x.jp/wordpress/wp-content/uploads/2009/06/terada2.jpg"><img class="size-medium wp-image-1741" title="26年間、大会と共に歩んできた寺田夫妻（07年９月、2007KOMATSU全日本鉄人レースの大会会場にて撮影）" src="https://www.tri-x.jp/wordpress/wp-content/uploads/2009/06/terada2-300x225.jpg" alt="26年間、大会と共に歩んできた寺田夫妻（07年９月、2007KOMATSU全日本鉄人レースの大会会場にて撮影）" width="300" height="225" /></a><p class="wp-caption-text">26年間、大会と共に歩んできた寺田夫妻（07年９月、2007KOMATSU全日本鉄人レースの大会会場にて撮影）</p></div>
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